神戸城:滝川一益が信長の命により神戸氏を降し信長の三男信孝を養子にした神戸城【お城特集 日本の歴史】

神戸城/アクセス・場所・地図 滝川一益が信長の命により神戸氏を降し信長の三男信孝を養子にした神戸城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
神戸城

【神戸城の説明】
神戸城は三重県鈴鹿市神戸本多町にあった平城である。
神戸氏4代目当主の「神戸具盛」が天文年間に築城し、本拠地を澤城から神戸城へ移した。

神戸城/アクセス・場所・地図 滝川一益が信長の命により神戸氏を降し信長の三男信孝を養子にした神戸城【お城特集 日本の歴史】

戦国時代に入り、織田信長の伊勢侵攻に対する北畠氏側の最前線となり信長家臣「滝川一益」の攻撃を受け、信長の3男「信孝」を養子に迎えることを条件に降伏した。

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その後、神戸城は神戸信孝により大きく改修された。信長が天下統一を目指す中、滝川一益に属する城として何度も城主が入れ代わったが信長が「本能寺の変」で横死し、次いで豊臣秀吉がこれを継承する。

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秀吉が病死すると慶長5年(1600年)、石田三成と徳川家康との間で「関ヶ原の戦い」が勃発し、家康が勝利すると一柳氏が5万石で入城した。

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江戸時代に入ると一時は天領となるが、慶安3年(1650年)に「石川総長」が1万石で入封した。享保17年(1732年)には「本多忠統」が2万石で封じられ、城をさらに修築し入城した。以降、幕末・明治維新まで本多氏が7代にわたり居城として用いた。

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現在の城跡は神戸公園として整備され、本丸の石垣および堀の一部が残っている。なお、神戸信孝時代には天守が建てらていたことがわかっている。






【神戸城・場所・アクセス】
〒513-0801 三重県鈴鹿市神戸本多町

【神戸城地図】



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