小机城:北条氏堯や北条三郎が城主となり北条征伐後に廃城となった小机城【日本の歴史 お城特集】

小机城/アクセス・地図・場所 北条氏堯や北条三郎が城主となり北条征伐後に廃城となった小机城【日本の歴史 お城特集】

【城名】
小机城

【小机城の説明】
小机城は神奈川県横浜市港北区小机町にあった平山城である。
永享年間の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが正確な築城時期は分かっていない。

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文明10年(1478年)、山内上杉氏の宰領であった長尾家の「長尾景春」が父の死後その職に就けなかったことから上杉氏に反旗を翻し、景春に味方する豊嶋氏が「小机城」に籠城し敵方の「大田道灌」の攻撃を受けた。

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城は堅城でなおかつ豊嶋氏が頑強に抵抗したため道灌は城を落とすのに2ヶ月を擁したと言われている。その後、一旦は廃城となったが戦国時代に入り、北条氏綱が武蔵国を制圧すると「笠原信為」が城主に任命された。

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その後、城主は「北条氏堯」「北条三郎(上杉景虎)」「北条氏光」へと変わり、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」では、戦わずして落城した。北条氏が滅亡すると関東一帯は「徳川家康」に与えられ家康の関東入府のときに廃城となった。

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現在の小机城跡は「小机城址市民の森」として、城の遺構が整備されており本丸跡、二ノ丸跡などが残されている。

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【小机城・場所・アクセス】
〒222-0036 神奈川県横浜市港北区小机町789

【小机城地図】



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