淀城:将軍秀忠に命により松平定綱が築城 幕末には鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍の入城を拒否した淀城【お城特集 日本の歴史】

淀城/アクセス・場所・地図 将軍秀忠に命により松平定綱が築城 幕末には鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍の入城を拒否した淀城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
淀城

【淀城の説明】
淀城は京都府京都市伏見区淀本町にあった徳川時代の城である。
豊臣秀吉の時代の淀城は「淀古城」と呼ばれている。

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元和9年(1623年)、2代将軍「徳川秀忠」の命により「松平定綱」が3万5千石にて淀城へ入り淀藩を立藩した。その後、松平定綱は備中へ移封となり「永井尚政」が10万石に入封し城や城下町の拡張へ努めた。永井氏の移封に伴い、石川氏、戸田氏、松平氏と次々と城主が変わった。

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享保8年(1723年)に稲葉正知が10万石で城主となってからは、幕末まで稲葉氏がこの地を治めた。幕末になると薩長と徳川幕府軍との間で「鳥羽伏見の戦い」が勃発し、徳川軍は敗れ譜代大名である淀藩稲葉氏の城で再起を図ろうとするが淀藩は入城を拒否、逆に砲撃を加えた。

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明治時代に入ると廃城令に伴い淀城も破却され、現在残された遺構は石垣や水堀、天守台跡などである。さらに、淀城跡公園として整備が進み内堀などの復元が行われている。

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【淀城・場所・アクセス】
〒613-0903 京都府京都市伏見区淀本町

【淀城地図】



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