大和郡山城:豊臣秀長の大和・紀伊・和泉100万石の居城 郡山城【お城特集 日本の歴史】

大和郡山城/アクセス・地図・場所 豊臣秀長の大和・紀伊・和泉100万石の居城 郡山城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
大和郡山城

【大和郡山城の説明】
郡山城は奈良県大和郡山市にあった城で、大和・紀伊・和泉100万石を統治していた豊臣秀長の居城である。
築城時期はおよそ奈良時代と伝えられている。

戦国時代の城主「郡山辰巳」は当初筒井順慶についていたが松永久秀が台頭すると久秀の側についた。天正8年(1580年)、松永久秀が信長に反旗を翻し、大和は筒井家が治める国になると織田家の後押しを受けた順慶は松永氏よりだった「郡山城」を攻めて郡山辰巳を殺害し、城もろとも自分の支配下に置いた。

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順慶は筒井城を拡張し続けたが立地や様々な条件からこの地を諦め、郡山城を本拠地と決め城下町を形成した。信長は大和の国に一国一城令を下し、これにより筒井城は廃城となり郡山城のみが残った。

豊臣秀吉が天下を統一すると天正13年(1585年)、秀吉の弟「豊臣秀長」が大和・和泉・紀伊の三ヵ国を与えられ100万石余の領主として郡山城に入城する。

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筒井家の当主「筒井定次」は秀吉の命により伊賀上野城へ転封となった。天正19年(1591年)、豊臣秀長が没し、その養子「豊臣秀保」も文禄4年(1595年)に急死すると、郡山城主は「増田長盛」が22万3千石にて入封する。

そして慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が天下を統治すると豊臣方の増田長盛は高野山へ追放となり、筒井一族の「筒井定慶・順斎」兄弟にに1万2千石にて郡山城を与えた。

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大坂の陣では郡山城へ攻め込んだ大坂方が大群との報を真に受け、筒井軍は撤退し定慶は興福寺に落ち延びた。大坂城落城後はこの行為を恥じて定慶兄弟は切腹したと言われている。

徳川時代に入った郡山城には水野勝成が刈谷から6万石にて入封し、その後も次々と城主が変わった。享保9年(1724年)、柳沢吉里が甲斐の甲府藩から15万石で移封され、さらなる城下町の整備に努めた。

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この柳沢氏による統治のまま幕末を迎え、明治の廃藩置県を迎えている。現在の城跡には学校や公園として整備されており櫓や門の復元も進んでいる。






【大和郡山城・場所・アクセス】
〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2

【大和郡山城地図】



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