吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお城や領地や石高は?【日本の歴史ブログ】

吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の領地や石高は?【日本の歴史ブログ】

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吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお城や領地や石高は?

江戸中期、赤穂浪士・47士・忠臣蔵と様々なの呼び名で有名な刃傷事件、そして仇討事件の中心人物「吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)」のことはあまり知られていない。

良くある質問の中に、吉良上野介の領地はどこだったのか?そして、石高はどのくらいだったのか?という質問があります。

もともと上野介の吉良家は「三河吉良家」の出で、領地は「三河国幡豆郡吉良荘(現:愛知県西尾市)」にあり、その石高は3000石だったと言われている。

【幡豆郡吉良荘(現:愛知県西尾市吉良町付近)地図】



現在では陣屋跡らしきものも、館跡らしきものもなく、東京の江戸屋敷跡が残っているだけである。

吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の領地や石高は?【日本の歴史ブログ】

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【吉良邸跡(本所松坂公園)地図】



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