津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ【日本の歴史ブログ】

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津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ

津軽為信は陸奥の国を治める南部氏の家臣だった。
しかし、南部家が隣国の秋田家(安東家)と激しい争いをしている間にどんどん津軽地方を統一。

ついには強大な武力と権力を駆使して主家に背くそぶりを見せる。
そんな折に中央では豊臣秀吉が関東の北条氏政・氏照を攻めるため関東まで進軍してきた。

※北条征伐(小田原評定で有名な小田原城)
北条征伐(小田原評定で有名な小田原城)

この機を逃さず津軽為信は敵国の領内や同盟国の領内を少人数の家臣とともにすり抜け、見事に豊臣秀吉に謁見した。南部家の当主「南部信直」は為信に遅れること数ヵ月後に謁見。

この差が為信の津軽地方独立を確実なものにした。
領地安泰の安堵状を手にした為信は、名実ともに津軽地方の独立大名として認められたことになる。

ちなみに為信は豊臣秀吉に謁見するために関東へ下ること3度も失敗を繰り返し、やっとの思いで謁見にこぎつけた。この嗅覚を持ち備えた先見の明が為信を独立大名へと押し上げたのでしょう。

こうして津軽為信は弘前藩祖となったのである。






【弘前城地図】



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