織田信長に反旗を翻した荒木村重の結末とは?【日本の歴史ブログ】

織田信長に反旗を翻した荒木村重の結末とは?【日本の歴史ブログ】

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織田信長に反旗を翻した荒木村重の結末とは?

織田信長が本願寺攻めを本格的に始動していた当時、摂津の国(現:大阪)一国を与えられていたにも関わらず信長に反旗を翻した荒木村重。

謀反の理由は諸説あるが一番有力とされるのが、村重の配下がひそかに本願寺側に兵糧を運びこんでいたことが信長の耳に入ったことによるとされております。

信長は一度相手を疑うとその猜疑心を解くことが容易ではないと信じていた村重は、この時、毛利方へ味方をして反旗を翻したというわけです。
結局、明智光秀や織田信忠(信長の長男)などに有岡城を囲まれてしまい、最後は尼崎城・花隈城をたどって毛利家へ逃げ込んだのです。

時代はかわり、信長が明智光秀に本能寺の変にて討たれるとその後の天下は豊臣秀吉の天下となります。
毛利家も豊臣秀吉に服従したことにより村重は秀吉のお伽衆として迎えられます。

※大阪城
大阪城

お伽衆とは主に秀吉と世間話をするために扶持をもらっている者のことを言います。
見識の高い僧侶や村重のように戦国時代を生きてきた武将などが多かったようです。

とはいえ、特に武将として召抱えられることもなく村重はこの世を去っています。
信長の前から逃げ出した際に村重の一族郎党数百名が処刑されました。

これらの過去をずっと背負って生き抜いたのでしょうか。
出家した村重はこの時、名前を「道糞(どうくん)またはどうふん」としています。

自分の生涯をクソのような道だったとのことなのでしょうか。






【城地図】



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