アーカイブ:2017年 5月
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勝山城(越前):柴田勝家の一族柴田勝安が築城した越前勝山城(模擬天守)【お城特集 日本の歴史】
【城名】 勝山城(越前) 【勝山城の説明】 越前勝山城は現在の福井県勝山市にあった平城である。 柴田勝家が主君「織田信長」より越前国を拝領すると勝家は一族の「柴田勝安」に勝山城の築城を命じた。 勝家が滅…詳細を見る -
館城:函館戦争直前に松前藩が築城した城で旧幕府軍に攻撃された館城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 館城 【館城の説明】 館城(たてじょう)は、現在の厚沢部町に築城された松前藩の城である。 明治元年(1868年)、函館戦争直前に松前藩が松前城(福山城)から本拠を移すために築城された。その理由の一つ…詳細を見る -
権現台場:五稜郭と四稜郭を結ぶ重要な位置に築かれた権現台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 権現台場 【権現台場の説明】 権現台場は函館東照宮を中心に建設された旧幕府軍の台場である。明治2年(1869年)4月、新政府軍の襲撃を予想していた榎本武揚率いる旧幕府軍は各地に台場や陣地を建設した。…詳細を見る -
三稜郭跡:五稜郭と四稜郭だけじゃない!!三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 三稜郭跡 【三稜郭跡の説明】 榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)では新政府軍の襲撃に備えて各地で砲台や陣屋の建設を急いだ。明治2年(1869年)、旧幕府軍は「弁天台場」の改修をはじめ、千代ヶ岡台場、権現台場…詳細を見る -
宮古湾海戦の碑:旧幕府軍「回天丸」が新政府軍旗艦「甲鉄艦」奪取を試みた海戦【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 宮古湾海戦の碑 【宮古湾海戦の碑の説明】 明治2年(1869年)5月6日、榎本武揚率いる旧幕府軍は海軍力の劣っている穴を埋めるため宮古湾に停泊している新政府軍の旗艦「甲鉄艦」を奪取する斬り込み攻撃を…詳細を見る -
一本木関門跡:新選組結成から函館戦争の最後まで戦い抜いた新選組土方歳三最期の地碑【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 一本木関門跡(土方歳三最期の地碑) 【一本木関門跡(土方歳三最期の地碑)の説明】 京都で新選組を結成してから鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に帰還し、大鳥圭介ら旧幕府軍と北関東で戦い、さらには会津戦争にも参…詳細を見る -
母成峠古戦場跡:会津藩兵や大鳥圭介率いる伝習隊・新選組と新政府軍と戦闘があった母成峠【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 母成峠古戦場跡 【母成峠古戦場跡の説明】 慶応4年(1868年)、二本松城を落とした新政府軍は次の目標を会津藩に定めた。一方会津藩は広大な領内に兵力を分散する必要があり、どこに主力部隊を配置するかが…詳細を見る -
八木邸跡:近藤勇・芹沢鴨・土方歳三が会津藩預かり新選組結成時の屯所 八木邸【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 八木邸跡 【八木邸跡の説明】 近藤勇・芹沢鴨・土方歳三らが会津藩お預かりの新選組を結成した時に屯所としたのが八木邸である。当初は近藤派と芹沢派に割れていた新選組だが、土方らの策略により「芹沢鴨」は暗…詳細を見る -
お台場:幕末江戸湾海上防衛のため江川太郎左衛門が建設した砲台跡(第三台場・第六台場)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 お台場砲台跡 【お台場砲台跡の説明】 嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が日本に来航するとこれに驚いた徳川幕府は急遽江戸湾の防衛強化を急いだ。この頃、韮山代官の「江川太郎左衛門」が江戸湾砲台建設の提…詳細を見る -
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争で壮絶な最期を迎えた中島三郎助終焉の地【史跡 日本の歴史】
【陣屋名】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場) 【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市にある五稜郭の少し南に築かれた陣屋である。文化5年(1808年)、日露関係が緊迫した中、幕府…詳細を見る -
琉球藩/尚氏8万9千石:尚泰 明治政府より琉球藩王に任命されるも最後は東京へ連行された尚泰【幕末維新写真館】
【藩名】 琉球藩 【説明】 1872年(明治5年)、廃藩置県の翌年、琉球国王「尚泰」は明治政府により「琉球藩王」とされるとともに大日本帝国の華族の身分を与えられ、これにより琉球藩が設置された(第一次琉球処分)。…詳細を見る -
薩摩藩(鹿児島藩)/島津家77万石:島津忠義 鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦い抜き維新を実現させた薩摩藩【幕末維新写真館】
【藩名】 薩摩藩(鹿児島藩) 【説明】 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西軍につくが、徳川四天王の一人「井伊直政」の取りなしで本領を安堵され、島津義弘の三男「家久」が当主と認められた。この時点をもって正…詳細を見る -
富岡藩(天草藩)/戸田家2万1千石:戸田忠昌 島原の乱で荒廃したあと天領となった高岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 富岡藩(天草藩) 【説明】 慶長6年(1601年)より、天草郡は唐津藩領(4万2千石)となっていた。慶長10年(1605年)唐津藩主「寺沢広高」により富岡城と城下町が完成し、2代藩主「堅高」の時に勃発…詳細を見る -
高瀬藩(熊本藩支藩)/細川家3万5千石:細川利永 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高瀬藩(熊本藩支藩) 【説明】 肥後新田藩は熊本藩の支藩で、寛文6年(1666年)熊本藩3代藩主「細川綱利」の弟「細川利重」が熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩した。江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行…詳細を見る -
富江藩(五島藩支藩)/五島家3千石:五島盛明 幕末期に本藩である福江藩に併呑されかけたが農民一揆が勃発した富江藩【幕末維新写真館】
【藩名】 富江藩(五島藩支藩) 【説明】 五島氏第23代目当主「五島盛次」の弟「五島盛清(富江五島家初代当主)」が、寛文元年(1661年)、宗家「福江藩」より分与して富江藩が成立した。そして政庁として富江陣屋が…詳細を見る -
大村藩/大村家2万7千石:大村純熈 鳥羽・伏見の戦い直前に大津を抑え幕府軍の援軍を防いだ大村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大村藩 【説明】 第12代当主「大村純忠」は、天正15年(1587年)の「豊臣秀吉」の九州平定に長子「大村喜前」を従軍させ、戦後の九州論功行賞で領地を安堵された。喜前は「関ヶ原の戦い」では東軍に属し徳…詳細を見る -
鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿島藩(佐賀藩支藩) 【説明】 鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩である。佐賀藩の初代藩主「鍋島勝茂」の弟「忠茂」が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され元々領していた…詳細を見る -
平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸新田藩(平戸藩支藩) 【説明】 平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えた。平戸館山藩とも言われている。元禄2年(1689年)、平戸藩5代藩主棟の弟「昌」が1万石を分与さ…詳細を見る -
松崎藩(久留米藩支藩)/有馬家1万石:有馬豊祐 親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松崎藩(久留米藩支藩) 【説明】 松崎藩は江戸時代前期に存在した久留米藩の支藩である。藩庁は筑後国御原郡松崎(福岡県小郡市松崎)の松崎陣屋に置かれていた。寛文8年(1668年)、久留米藩第3代藩主「有…詳細を見る -
東蓮寺藩(福岡藩支藩)/黒田家4万石:黒田長寛 子がなく無嗣断絶となり廃藩 【幕末維新写真館】
【藩名】 東蓮寺藩(福岡藩支藩) 【説明】 東蓮寺藩(直方藩)は、福岡藩の支藩として藩庁は東蓮寺(福岡県直方市)に置かれ陣屋が置かれた。第1次東蓮寺藩は元和9年(1623年)、黒田長政の四男「黒田高政」が福岡藩…詳細を見る
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