赤尾木城(種子島城):種子島氏が代々治めた鉄砲伝来の地 赤尾木城【お城特集 日本の歴史】

赤尾木城(種子島城)/アクセス・場所・地図 種子島氏が代々治めた鉄砲伝来の地 赤尾木城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
赤尾木城(種子島城)

【赤尾木城(種子島城)の説明】
鎌倉時代初期、平清盛の孫「平行盛」の遺児が「北条時政」の養子となり「北条時信」と名乗り種子島に入ったのが種子島氏の始まりとされている。赤尾木城の築城時期は不明だが、6代当主「時充」の頃に「種子島氏」と称した。

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応永15年(1408年)8代当主「清時」は薩摩守護の「島津元久」より屋久島を与えられる。そして、天文12年(1543年)14代「時堯」の時代にポルトガルより鉄砲が伝来する。その後も島津氏に従い続け、文禄4年(1595年)に行われた「太閤検地」に伴い薩摩国知覧へ移封される。

※種子島時堯銅像
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慶長3年(1598年)には薩摩藩の家老に任命され、代々1万石を拝領した。翌、慶長4年(1599年)には知覧から旧領の種子島に戻されて、それ以降江戸期を通じて種子島を領した。しかし当主は鹿児島(鶴丸城)への城府が義務付けられていた。

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現在の赤尾木城跡は「榕城小学校」となっており、石垣などの遺構が残されている。

【赤尾木城(種子島城)・場所・アクセス】
鹿児島県西之表市榕城中目






【赤尾木城(種子島城)地図】



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