下館城:水谷勝氏が結城氏勝から下館領を与えられ宇都宮氏に備えるために築城した下館城

下館城/アクセス・場所・地図 水谷勝氏が結城氏勝から下館領を与えられ宇都宮氏に備えるために築城した下館城

【城名】
下館城

【下館城の説明】
下館城は現在の茨城県筑西市本城町にあった平城です。
文明10年(1478年)、水谷勝氏が「結城氏広」から下館領を与えられ築城したのが始まりとされています。

下館城/アクセス・場所・地図 水谷勝氏が結城氏勝から下館領を与えられ宇都宮氏に備えるために築城した下館城【お城特集 日本の歴史】

水谷勝氏は隣国の宇都宮氏に備えるため「下館城」を築城しました。戦国時代に入るとたくみに立ちまわり、その領土を守り抜き江戸時代に入るまで水谷氏がこの地を治めた。

下館城/アクセス・場所・地図 水谷勝氏が結城氏勝から下館領を与えられ宇都宮氏に備えるために築城した下館城【お城特集 日本の歴史】

寛永16年(1637年)、水谷勝隆が備中成羽藩へ転封となり「松平頼重」が入封します。寛永19年(1642年)には松平頼重が転封となり一時は天領となるが、「井上正岑」「黒田直邦」と城主が変わり最後は「石川総茂」が2万石で入封し幕末を迎えた。

下館城/アクセス・場所・地図 水谷勝氏が結城氏勝から下館領を与えられ宇都宮氏に備えるために築城した下館城【お城特集 日本の歴史】

下館城は明治4年の廃城令により破却されました。

目次

「法螺貝城」と呼ばれた三重の堀

下館城は、勤行川に沿った台地の上に本丸・二の丸・三の丸を置き、堀を三重にめぐらせた平城でした。その形から「螺城(らじょう)」「法螺貝城」とも呼ばれています。平地の城なので、守りの主役は高さではなく水と堀でした。堀と土塁がどう組み合わさるのかは城の基本用語にまとめています。

藤原秀郷の三館という伝え

下館という地名には、平将門を追討した藤原秀郷が上館・中館・下館の三つの館を築いた、という言い伝えがあります。その下館にあたるのがこの城だとされてきました。確かな史料で追えるのは室町時代からですが、この地が古くから川と街道を押さえる場所だったことは確かです。

宇都宮氏との最前線

水谷勝氏が結城氏から下館領を与えられて城を築いたのは、北の宇都宮氏に備えるためでした。結城城を本拠とする結城氏にとって、下館は北の盾にあたります。のちに水谷正村は、さらに北へ久下田城を築いて宇都宮方と向き合いました。正村は戦上手として知られ、水谷氏は戦国を通じて領地を守り抜きます。豊臣秀吉の小田原攻めのあとも所領を安堵され、江戸時代を迎えました。近隣では児山城や土浦城も、同じころ勢力の境目にあった城です。

城主が替わり続けた江戸時代

水谷氏が備中へ移ったあと、下館には松平頼重が入り、そのあとも増山、井上、黒田と城主が入れ替わりました。最後は石川氏が二万石で入り、九代続いて明治を迎えます。城主がこれだけ替わったのは、下館が江戸に近く、幕府にとって使い勝手のよい小藩だったからでもあります。

現地はいま

城跡は市街地になっており、本丸跡には八幡神社が建っています。神社の境内と隣の小学校のあいだには、堀の跡がそのまま道路になって残っています。石垣や天守はありませんが、道の形と土地の高低を追うと、三重の堀に囲まれていたころの輪郭が見えてきます。

【下館城・場所・アクセス】
〒308-0021 茨城県筑西市甲611

【下館城地図】

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