Jphistoryの記事一覧
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坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一)
坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一) 原文 此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり申候。ちかきうちには大坂より十里あ…詳細を見る -
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙)
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙) 原文 扨も/\人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事、うんのわるいものハふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。夫とくらべてハ私などハ、う…詳細を見る -
田中良助 宛(借金借用の手紙)
田中良助 宛(借金借用の手紙) 原文 一、金子弐両也。右者下拙儀讃州地方ニ罷越ニ付、金子入用ニ付借金候事実正ニ候。返弁之儀当暮限壱割五歩之利足を加、元利共必然皆済可致、仍之借用始末如件候。…詳細を見る -
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙)
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙) 原文 先づ〃御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、一、高マチ袴一、ブッサキ羽織一、宗十郎頭巾外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。九月…詳細を見る -
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛 原文 尊札拝見仕候。寒気之節益御安泰、長途無御障り御修行、珍重之御儀奉存候。抑被越候御趣、何レ拝顔之上御相談可申上奉存候。然ニ奴儀無拠要用ニ相掛居申候間、明後出足…詳細を見る -
坂本八平(父)宛(最古の手紙)
坂本八平(父)宛(最古の手紙) 原文 一筆啓上仕候。秋気次第に相増候所、愈々御機嫌能可被成御座、目出度千万存奉候。次に私儀無異に相暮申候。御休心可被成下候。兄御許にアメリカ沙汰申上候に付、…詳細を見る -
飫肥藩/伊東家5万1千石:伊東祐相 新政府軍に与して二条城や甲府城の守備を務めた飫肥藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飫肥藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」では「伊東祐兵」が大坂で病を得ていた為、成り行きで西軍につくも、密かに「黒田如水」を通じて東軍に味方をし、嫡男「祐慶」を下向させて宮崎城を攻撃…詳細を見る -
佐土原藩(薩摩藩支藩)/島津家2万7千石:島津忠寛 薩摩藩と共に上野戦争や会津戦争に参戦した佐土原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐土原藩(薩摩藩支藩) 【説明】 慶長8年(1603年)、「島津貴久」の弟「忠将」の子である「島津以久」が日向国那珂郡・児湯郡内で3万石を与えられて佐土原城を拠点とした。元々は「島津家久」「島津豊久」…詳細を見る -
高鍋藩/秋月家2万7千石:秋月種殷 幕末では特に大きな動きがなかった高鍋藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高鍋藩 【説明】 秋月氏はもともと筑前国を領していたが、「豊臣秀吉」の「九州征伐」のとき、時の当主「秋月種実」が島津氏に与して抵抗し、のちに秀吉に恭順した。これにより36万石あった領地から日向国串間3…詳細を見る -
延岡藩/内藤家7万石:内藤政挙 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍に付いたため朝敵とされた延岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 延岡藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「九州征伐」後の天正15年(1587年)に、豊前国香春(福岡県田川郡香春町)周辺の領主「高橋元種」が延岡南部の松尾城5万石に封ぜられた延岡藩が立藩された。慶長5年(1600年)…詳細を見る -
人吉藩/相良家2万2千石:相良頼基 軍制改革を行い薩摩藩と共に会津攻撃に加わった人吉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 人吉藩 【説明】 天正15年(1587年)、「豊臣秀吉」の「九州征伐」の際、相良家老臣の「深水長智」は大友氏・島津氏の間に挟まれた小領主の苦悩を秀吉に訴えた。この長智の奔走により当主の「相良頼房(初代藩主・長…詳細を見る -
宇土藩(熊本藩支藩)/細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】
【藩名】 宇土藩(熊本藩支藩) 【説明】 宇土藩は熊本藩の支藩で藩庁は宇土(宇土市)に陣屋が置かれた。 正保3年(1646年)熊本藩2代藩主「細川光尚」の従兄弟「行孝(初代忠利の弟・立孝の子)」が宇土郡・下益城…詳細を見る -
熊本藩(肥後藩)/細川家54万石:細川護久 藩論が割れたが最後は新政府軍に加わり横井小楠を輩出した熊本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 熊本藩(肥後藩) 【説明】 熊本藩2代藩主「加藤忠広」は、寛永9年(1632年)駿河大納言事件に連座したとされる罪で改易され出羽国庄内に配流となり、加藤家は断絶した。代わって同年豊前国小倉藩より、「細…詳細を見る -
福江藩(五島藩)/五島家1万5千石:五島盛徳 上洛要請により上京し新政府軍に従った五島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福江藩(五島藩) 【説明】 江戸時代初期の慶長8年(1603年)に、初代藩主「五島玄雅(五島純玄の嗣子)」が「徳川家康」に謁し、1万5千余石の所領を認める朱印状を下賜されたことに福江藩が創設される。 嘉…詳細を見る -
島原藩/松平家6万5千石:松平忠和 島原の乱を経て幕末には新政府軍に属し秋田や盛岡まで参戦した島原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 島原藩 【説明】 島原は戦国時代、有馬氏が治めていた領地である。キリシタン大名の「有馬晴信」は「関ヶ原の戦い」で「徳川家康」率いる東軍に与して本領を安堵された。しかし慶長17年(1612年)、「岡本大…詳細を見る -
佐賀藩/鍋島家35万7千石:鍋島直正(閑叟)幕末当時最新鋭の洋式軍を保持し上野戦争や函館五稜郭の戦いに参戦した佐賀藩(肥前藩)【幕末維新写真館】
【藩名】 佐賀藩 【説明】 幕末の藩主「鍋島直正」は精錬方という科学技術の研究機関を創設し、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、電信、ガラスなどの研究・開発・生産を行い、佐賀藩(肥前藩)は幕末期における最も近代化さ…詳細を見る -
蓮池藩(佐賀藩支藩)/鍋島家5万2千石:鍋島直紀 戊辰戦争では新政府軍に属して秋田戦争に参戦した蓮池藩【幕末維新写真館】
【藩名】 蓮池藩(佐賀藩支藩) 【説明】 蓮池藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の五男「直澄」が佐賀藩領内の佐嘉郡・神埼郡・杵島郡・松浦郡・藤津郡において5万200…詳細を見る
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