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近畿地方
大溝藩/分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大溝藩 【説明】 大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていた。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信」が2万石で入封し大溝藩が立藩された。 ... -
近畿地方
彦根藩/井伊家23万石:井伊直憲 桜田門外の変以降徳川幕府から離れ新政府に従った彦根藩【幕末維新写真館】
【藩名】 彦根藩 【説明】 徳川譜代大名の筆頭でもある彦根藩の幕末藩主となったのが「井伊直弼」である。嘉永3年(1850年)、兄「井伊直亮」の死去により藩主となった。13代将軍「徳川家定」の将軍継嗣問題で南紀派(紀州藩)に属し、「一橋慶喜」ら一橋... -
近畿地方
長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1... -
東海地方
鳥羽藩/稲垣家3万石:稲垣長行 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍として戦うもほどなく新政府に恭順した鳥羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳥羽藩 【説明】 鳥羽藩は織田水軍の将「九鬼嘉隆」を藩祖とする藩である。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」で嘉隆は西軍に、子の「九鬼守隆」は東軍に与して戦った。父子対立というよりはどちらが勝利しても九鬼家が存続できるよう... -
東海地方
伊賀上野藩/筒井家20万石:筒井定次 外様大名の筒井氏が政務怠慢により改易された伊賀上野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊賀上野藩 【説明】 大和の国「筒井順慶」は「織田信長」の家臣となって「松永久秀」を滅ぼし、大和一国の国主となった。天正12年(1584年)、順慶は35歳の若さで死去し、その後を養嗣子で従弟の「筒井定次」が継いだ。そして翌年、「豊臣秀吉」... -
東海地方
松坂藩/古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松坂藩 【説明】 戦国時代、この地には織田信長の次男「織田信雄」が入封しこの地を松ヶ島と改め、松ヶ島城を築城し五層に及ぶ天守と城下町を建設した。信長没後、信長の娘婿「蒲生氏郷」が12万石で入り、松坂城を新たに築城し城下町の建設を行な... -
東海地方
津藩(安濃津藩)/藤堂家27万950石:藤堂高潔 鳥羽・伏見の戦いでは形勢不利となった旧幕府軍を突如攻撃した津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津藩(安濃津藩) 【説明】 慶長13年(1608年)8月24日、「富田信高」は伊予宇和島藩に移封され、翌日の8月25日には伊予今治藩10万石から藤「堂高虎」が22万石に加増された上で入封した。(伊予越智郡今治2万石、伊賀国内10万石、伊勢安濃郡、一... -
東海地方
神戸藩/本多家1万5千石:本多忠貫 譜代大名だが幕末時は特に目立つことなく版籍奉還を迎えた神戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 神戸藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」にて神戸城2万石の城主だった「滝川雄利」は西軍に属したため改易となった。慶長6年(1601年)、尾張黒田城3万5000石の城主だった「一柳直盛」が5万石で入封し神戸藩が成立した。寛永13年(1... -
東海地方
伊勢亀山藩/石川家6万石:石川成之 譜代大名のため佐幕派・尊皇派に割れた亀山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢亀山藩 【説明】 享保2年(1717年)11月1日、「松平乗邑」が山城淀藩へ移封となる。その後「板倉重治」が入封するが第2代藩主「板倉勝澄」の時に「石川総慶」と領地交代という形で備中松山藩へ移封となった。こうして「石川総慶」が6万石で入... -
東海地方
桑名藩/松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】
【藩名】 桑名藩 【説明】 幕末の藩主「松平定敬」は将軍「徳川家茂」から厚い信任を受けていたという。元治元年(1864年)には「京都所司代」に任命され、実の兄の会津藩主「松平容保」がと共に京都の治安維持に努めた。 将軍「徳川慶喜」が「大政奉還」... -
東海地方
長島藩/増山家2万石:増山正修 伊勢国内の大部分が新政府軍に降ったため恭順した長島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長島藩 【説明】 天正2年(1574年)、伊勢長島は「織田信長」の攻撃を受けて一向一揆衆2万人が虐殺されたことで有名である。その後、領主は「滝川一益」「織田信雄」「豊臣秀次」とめまぐるしく変わり、慶長3年(1598年)に「福島正則」の弟「福... -
東海地方
大垣藩/戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣藩 【説明】 第11代藩主「戸田氏共」は第2次長州征伐に参加し、慶応2年(1866年)からは藩政改革を断行している。慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」では大垣藩兵も旧幕府軍と共に新政府軍と戦い、朝敵に指定された。しかし新... -
東海地方
苗木藩/遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 苗木藩 【説明】 苗木藩の藩祖は「遠山友政」である。友政は美濃の豪族で、父の友忠とともに「織田信長」に従っていたが、信長の死後は小牧長久手の戦いなどで「徳川家康」に与したため豊臣秀吉から所領を没収され、苗木は「河尻秀長」の所領とな... -
東海地方
八幡藩<郡上藩>/青山家4万8千石:青山幸宜 新政府軍に恭順しながら凌霜隊を会津へ派兵した郡上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡藩<郡上藩> 【説明】 郡上城は戦国時代、「織田信長」や豊臣氏の家臣であった遠藤氏、次いで稲葉氏の支配下にあった。「関ヶ原の戦い」で稲葉氏が豊後臼杵藩に移封された後、「遠藤慶隆」は2万7,000石を与えられて旧領復帰を許され郡上藩を... -
北陸・信越地方
田野口藩(竜岡藩五稜郭)/松平家1万5千石:松平乗謨 函館五稜郭と並び龍岡五稜郭を築城した龍岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田野口藩(竜岡藩五稜郭) 【説明】 文久3年(1863年)、「松平乗謨」は信濃国への陣屋移転と新築許可を徳川幕府から得る。そして以降、田野口藩を名乗ることになる。西洋築城術に関心を寄せていた乗謨は、新しい陣屋を稜堡式城郭(星形要塞)に... -
東海地方
尾張藩(名古屋藩)/徳川家61万9千500石:徳川慶勝 御三家でありながら鳥羽・伏見の戦いでは新政府軍に味方した尾張藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張藩(名古屋藩) 【説明】 幕末の第14代藩主「徳川慶勝」は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めた。安政5年(1858年)の将軍後継者問題や条約勅許問題などから一橋派に与して「井伊直弼」らと対立し、この政争に敗れ... -
東海地方
岩村藩/松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩村藩 【説明】 元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より「松平乗寿」の孫「松平乗紀」が2万石で入封する。歴代藩主の多くが奏者番・寺社奉行など幕府の要職を歴任しており、そのために第4代藩主「松平乗賢」は1万石の加増を受けて岩村藩は3万... -
東海地方
加納藩/永井家3万2千石:永井尚服 戊辰戦争では東山道鎮撫総督府軍「岩倉具定」に帰順した加納藩【幕末維新写真館】
【藩名】 加納藩 【説明】 宝暦6年(1756年)、陸奥磐城平藩へ移された「安藤信成」に代わって武蔵岩槻藩主「永井直陳」が3万2,000石で入封する。第4代藩主「永井尚佐」は若年寄に昇進し、第5代藩主「永井尚典」は武家諸法度に倣って「条々」・「定」・「... -
東海地方
岐阜藩/織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岐阜藩 【説明】 天正20年(1592年)に「織田信長」の嫡孫「織田秀信」が「豊臣秀吉」の計らいによって13万石で岐阜城へ入封した。岐阜の地は信長の時代から天下布武の重要な拠点であったが、本拠地を安土に移すとその重要性も薄れていった。しか... -
東海地方
飛騨高山藩(高山藩)/金森家3万3千石:金森頼時 出羽国上山藩へ移封のため廃藩し天領となった高山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飛騨高山藩(高山藩) 【説明】 天正14年(1586年)、三木氏や姉小路氏ら旧飛騨国国司の攻略に成功した信長家臣の「金森長近」が飛騨国を与えられて入封する。天正16年(1588年)から高山城の築城を行い、慶長5年(1600年)までには本丸、二の丸...


