Jphistory– Author –
-
近畿地方
宮津藩/松平家7万石:松平宗武 鳥羽・伏見の戦い以降西園寺公望の山陰鎮撫使に降伏した宮津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 宮津藩 【説明】 天和元年(1681年)、「阿部正邦」が武蔵岩槻藩より入封するが、元禄10年(1697年)には下野宇都宮藩に転出し、入れ替わり宇都宮より「奥平昌成」が入封するも、享保2年(1717年)には豊前中津藩に転封となる。代わって信濃飯山... -
近畿地方
福知山藩/朽木家3万2千石:朽木為綱 鳥羽・伏見の戦いでは参陣に遅れその後西園寺公望の山陰道鎮撫使に降った福知山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福知山藩 【説明】 「関ヶ原の戦い」で東軍に与した「有馬豊氏」は本戦で後ろ揃えを務めたことで、遠江横須賀3万石から福知山6万石に加増移封されて福知山藩が立藩した。慶長7年(1602年)に豊氏の父「有馬則頼」が死去すると、豊氏は父が摂津三... -
近畿地方
八上藩/松平家5万石:松平康重 丹波篠山城へ拠点を移したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八上藩 【説明】 八上城は戦国期に織田家重臣「明智光秀」と「波多野秀治」率いる波多野一族との間で攻防戦があったことで有名である。豊臣秀吉の時代になると五奉行を務める「前田玄以」がこの地を拝領した。ほどなく嫡男である「前田茂勝」が当... -
近畿地方
丹波亀山藩/松平家1万8千石:松平信正 戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏しその後新政府軍に従った亀山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丹波亀山藩 【説明】 慶長14年(1609年)、徳川氏譜代の家臣である「岡部長盛」が下総山崎藩から移封され丹波亀山藩が再度立藩された。長盛が亀山藩に入ったのは、大坂城の「豊臣秀頼」への抑えの役割もあった。岡部時代に亀山城下町の原型が出来... -
近畿地方
篠山藩/青山家6万石:青山忠敏 藩論が佐幕・尊皇に割れたが西園寺公望引きいる新政府軍が城下に迫ると恭順した篠山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠山藩 【説明】 寛延元年(1748年)8月、青山忠朝が5万石で丹波亀山藩へ移封となった。以降、江戸期を通じて青山氏による篠山統治時代が幕末まで続いた。譜代大名である青山氏は文久3年(1863年)8月、二条城守備を務め、元治元年(1864年)5月... -
近畿地方
高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高取藩 【説明】 寛永17年(1640年)10月19日、大番頭であった「植村家政」が、9,000石から2万5,000石に加増されて大名となり高取藩が立藩された。第2代藩主「植村家貞」は万治元年(1658年)7月7日、弟の政春に3,000石を分与したため、石高は2万... -
近畿地方
田辺藩(紀州藩附家老)/安藤家3万8千石:安藤直裕 幕末に新政府から独立した藩として認められた紀伊田辺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田辺藩(紀州藩附家老) 【説明】 「浅野幸長」が紀伊を支配していた頃は、一族の「浅野知近」が田辺城を領していた。元和5年(1619年)7月、徳川家康の十男「徳川頼宣」が紀州藩主に封じられたとき、その付家老として遠江国掛川城主「安藤直次」... -
近畿地方
紀州藩(和歌山藩)/徳川家55万5千石:徳川茂承 鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩【幕末維新写真館】
【藩名】 紀州藩(和歌山藩) 【説明】 紀伊国は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、甲斐国主であった「浅野幸長」に与えられ、外様の浅野家が治める紀州藩が成立した。元和5年(1619年)の「福島正則」の改易に伴い浅野家が安芸広島に移されると、... -
近畿地方
新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新宮藩(紀州藩附家老) 【説明】 新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与したために没落する。その後、紀伊国に封じられた「浅野幸長」の家臣「浅野忠長... -
近畿地方
狭山藩/北条家1万石:北条氏恭 天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 狭山藩 【説明】 第5代当主「北条氏直」は「徳川家康」の娘婿であり、北条氏規(北条氏康の五男)は「北条征伐」の和平に尽力し、豊臣秀吉とも会見していたという経緯から特別に許され、高野山での蟄居を命じられた。天正19年(1591年)、氏直は... -
近畿地方
岸和田藩/岡部家5万3千石:岡部長職 幕末期は尊皇・佐幕両派に藩論が割れたが戊辰戦争では新政府軍に従った岸和田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岸和田藩 【説明】 岸和田藩は「松平康映」の妻の父である「岡部宣勝」が摂津国高槻藩より6万石で入封し、明治維新まで岡部氏の所領となった。歴代藩主は財政再建のため様々な藩政改革を行ったが、目立った効果もなく幕末に至った。天保8年(1837... -
近畿地方
郡山藩/柳沢家15万1千石:柳沢保申 幕府の享保の改革によって甲府藩より移封された柳沢家【幕末維新写真館】
【藩名】 郡山藩 【説明】 享保9年(1724年)、将軍「徳川吉宗期」の時代に幕府直轄領の拡大を目論み実施された「享保の改革」にて、甲斐国甲府藩から「柳沢吉里」が15万1000石で入封する。以降明治維新まで柳沢氏が6代に渡り郡山の支配を行う。 2代藩主「... -
近畿地方
柳生藩/柳生家1万石:柳生俊益 初代柳生宗矩から将軍の剣術指南役を務め幕末を迎えた柳生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柳生藩 【説明】 柳生藩の初代藩主ある「柳生宗矩」の死後、1万2500石の所領は長男の「柳生三厳(十兵衛)」に8300石、三男の「柳生宗冬」に4000石、四男の六丸(列堂義仙)に200石、と分知されたため柳生家は大名から旗本となった。柳生十兵衛(... -
近畿地方
山城長岡藩/永井家3万6千石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山城長岡藩 【説明】 山城長岡藩は江戸時代初期、現在の京都府長岡京市を領有した藩で、この地に長岡陣屋が築かれた。寛永10年(1633年)、書院番で上総国・下総国内に8000石を領する旗本の「永井直清」が、旧領地に加え山城国、紀伊国、摂津国内... -
近畿地方
高槻藩/永井家3万6千石:永井直諒 戊辰戦争で新政府が優勢になるとこれに従った高槻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高槻藩 【説明】 高槻城は「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えた「高山右近」が城主だった。、右近はキリシタン大名として有名で、秀吉の宣教師追放令で大名の地位を追われた。右近の後は「新庄直頼」が3万石で高槻に入封したが、慶長5年(1600年)... -
近畿地方
伏見藩/内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伏見藩 【説明】 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は豊臣秀頼への牽制と畿内支配の拠点から、焼失した伏見城の再建に乗り出した。そして慶長8年(1603年)、家康は伏見城にて将軍宣下を受け江戸幕府を開いた。その後、慶長12年(1607年)に駿府城を正... -
近畿地方
佐和山藩/井伊家18万石:井伊直継 家康による彦根城築城と移転により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐和山藩 【説明】 佐和山城は「織田信長」の時代から要衝と見なされ、特に信任の厚かった重臣「丹羽長秀」を城主とした。文禄4年(1595年)に「豊臣秀吉」のもとで五奉行の一人だった「石田三成」が近江水口から移封されて19万4000石で入封した... -
近畿地方
膳所藩/本多家7万石:本多康穣 佐幕派から尊皇派へ転換し戊辰戦争では新政府に属した膳所藩【幕末維新写真館】
【藩名】 膳所藩 【説明】 最後の藩主である「本多康穣」の時代に藩内では尊皇派と佐幕派が主導権をめぐって争った。このため、将軍「徳川家茂」の膳所宿泊が中止になるほどであったが、やがて佐幕派が力を盛り返し、尊王派11名を処刑にした。また尊王派の... -
近畿地方
朽木藩/朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家【幕末維新写真館】
【藩名】 朽木藩 【説明】 朽木氏は「朽木谷城」を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めていた。戦国時代の当主「朽木元綱」も「足利義輝」「足利義昭」に仕え、外祖父には公卿の飛鳥井雅綱を持つなどの名門だった。織田信長が越前朝倉攻めを行っている際、... -
幕末・維新
桜田門:水戸浪士らの襲撃で討たれた大老井伊直弼(桜田門外の変)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 桜田門 【桜田門の説明】 桜田門は江戸城の内堀に造られた門の一つである。 実は桜田門は2つあり、「内桜田門」と「外桜田門」に分かれている。 田安門、一ツ橋門、清水門、半蔵門などそれぞれの門にはそれなりの理由がある中、桜田門ではその...


