桑名藩/松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】

桑名藩/場所・アクセス・地図 松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】

【藩名】
桑名藩

【説明】
幕末の藩主「松平定敬」は将軍「徳川家茂」から厚い信任を受けていたという。元治元年(1864年)には「京都所司代」に任命され、実の兄の会津藩主「松平容保」がと共に京都の治安維持に努めた。

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将軍「徳川慶喜」が「大政奉還」をしたが薩摩藩・長州藩はあくまで徳川家を武力討伐することを掲げており、徳川家の領地奉還を迫った。ここに会津藩・桑名藩や新選組を中心とする旧幕府軍と、薩摩・長州を中心とした倒幕軍との間で「鳥羽伏見の戦い」が勃発する。この戦は旧幕府軍の惨敗に終わり、徳川慶喜は幕府兵や家臣らを放置したまま単身江戸へ帰還してしまう。

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江戸に帰還した慶喜は新政府への恭順を表明し謹慎生活を送り始める。一方、薩摩・長州の矛先は会津藩や桑名藩へと向かった。藩主が江戸へ向かい本国を留守にしていた桑名藩は狼狽し藩論が乱れたが結局は新政府に恭順することに決した。

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こうして桑名城は開城し新政府軍に降ったがこれを不服とするものは脱藩し、あるいは江戸詰のものが旧藩主「松平定敬」のもとに集まり、桑名藩領の飛地である柏崎へと終結した。以降、江戸を脱走した旧幕府軍の伝習隊や新選組らと共に北関東や会津での戦闘を繰り返し、最後は「榎本武揚」が指揮する旧幕府海軍と共に蝦夷地まで渡った。

※初代桑名藩主「本多忠勝像」
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明治2年(1869年)、榎本武揚が新政府軍に降る前に桑名領に残る重臣や函館までやってきた家老「酒井孫八郎」らの説得により定敬は新政府に降った。ここうして桑名藩は定敬の跡を継いだ「松平定教」の恭順をもって取り潰しを免れ、所領を11万石から6万石に減らされた上で存続を認められた。9月20日には定教が正式に藩知事に任じられて従五位に叙されることになった。

明治4年(1871年)の廃藩置県で桑名藩は廃藩となり、桑名県、安濃津県を経て三重県に編入された。

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