笠間藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家8万:牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り会津藩攻撃にも加わった笠間藩【幕末維新写真館】

笠間藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家8万:場所・アクセス・地図 牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り会津藩攻撃にも加わった笠間藩【幕末維新写真館】

【藩名】
笠間藩(越後国長岡藩支藩)

【説明】
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年「松平康重」が武蔵騎西藩から3万石で入封して笠間藩を立藩した。慶長13年(1608年)に康重が丹波篠山藩へ移封されると、「小笠原吉次」が下総佐倉藩から入封した。しかし小笠原家は徳川家から付属されている与力の直属家臣化を企てたとして改易された。

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その後、浅野家が入封したが播州赤穂へ移封となり、「井上正利」が遠江横須賀藩から入封した。元禄5年(1692年)、正任の時に「美濃郡上八幡藩」へ移封となり、変わって「本庄宗資」が下野足利藩より入封した。本庄家が遠江浜松藩へ移封になると、「井上正岑」が常陸下館藩より入封する。

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井上家では3代目の「井上正経」の時に陸奥磐城平藩へ移封となり、その後は日向延岡藩より「牧野貞通」が入封する。以後笠間藩は、越後長岡藩の支藩として牧野家が支配して明治維新を迎えることとなる。戊辰戦争では、新政府軍に属して会津藩攻撃に加わったことで賞典禄を受け、本藩の越後長岡藩とは違った動きを見せた。

【場所・アクセス・地図】






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