尾道の坂道を登ると、かつて千光寺山の中腹に白い天守が建っていました。尾道城と呼ばれたその建物は、歴史上の城を再建したものではありません。昭和三十九年に地元の商工会が観光施設として建てた、鉄筋コンクリートの模擬天守です。入館者が減って閉鎖されたあとは長く廃墟のまま残り、近年になって解体され、跡地は展望の場として整えられました。
- 尾道城という城は歴史上に存在しない
- 昭和三十九年に商工会が建てた博物館兼展望施設だった
- 外観は弘前城の天守を手本にしたと伝えられる
- 閉鎖後は廃墟となり、近年解体されて視点場に生まれ変わった
尾道城とは:城ではなかった建物
尾道城が建っていたのは広島県尾道市三軒家町、千光寺公園へ上がる坂の途中です。三層三階の望楼型で、白い壁と黒い屋根が坂の上から尾道水道を見下ろしていました。尾道駅を出て正面の山を仰ぐと目に入る位置にあり、長く町の景色の一部になっていた建物です。
ただし、この建物には城としての由来がありません。中身は全国の城にまつわる資料を集めた博物館で、天守の形はいわば看板でした。同じように、群馬の一郷山城も戦国の城跡に平成の天守が建てられた例で、昭和から平成にかけて各地で同じことが起きています。
この天守は何を模していたのか
観光のための城が建てられた時代がありました。戦後の復興と高度成長のなかで、町のしるしとして天守を建てる動きが全国に広がった時期です。

解体される前の姿。坂道の石段を上がった先に白い天守が見えた。尾道駅からも仰ぎ見ることができた。
尾道にあった本当の城
では、尾道に城はなかったのかというとそうではありません。千光寺山には戦国末期に杉原氏が城を構えたと伝えられ、山陽道と瀬戸内の海運が交わるこの港町は、押さえるだけの価値がある土地でした。尾道は中世から荘園の年貢を積み出す港として栄え、商人が寺を建て、山の斜面に町が伸びていきます。
戦国期の備後は、三原城を築いた小早川隆景の勢力圏にあたります。関ヶ原ののちに水野勝成が福山城を築くと、備後の中心はそちらへ移りました。尾道は城下町ではなく、港町として近世を過ごした町です。城がないことのほうが、この町の性格をよく表しています。
廃墟から、視点場へ
平成のはじめに施設が閉じられたあと、建物は手入れされないまま残されました。壁は汚れ、窓は割れ、観光地の真ん中に廃墟が立っているという状態が長く続きます。訪れた人の記憶に強く残るのも、むしろこの時期の姿でした。
その後、所有者から市へ寄付が行われ、解体が決まります。工事を経て建物は姿を消し、跡地は千光寺公園の展望の場として整えられました。いまその場所に立つと、さえぎるもののない尾道水道と向島、行き交う渡船が一望できます。天守がなくなったことで、ようやくこの山がもともと持っていた眺めが戻ったことになります。
尾道城跡・場所とアクセス
広島県尾道市三軒家町、千光寺公園の一角です。JR尾道駅から歩いて十五分ほど、千光寺山ロープウェイを使えば数分で山頂へ上がれます。跡地の展望施設は自由に入れます。尾道は寺と坂と路地の町で、千光寺や天寧寺の三重塔をめぐりながら歩くのが楽しい場所です。城を訪ねるなら、海を渡って三原城や福山城まで足を延ばすとよいでしょう。
