熱田神宮:織田信長が桶狭間の戦勝を祈願した草薙神剣の社と信長塀

熱田神宮の社殿

【熱田神宮とは】

愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮は、三種の神器のひとつ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る社である。創祀は景行天皇の御代と伝えられ、伊勢神宮に次ぐ格式をもつ古社として、千九百年にわたって信仰を集めてきた。境内は約六万坪、名古屋の市街地にありながら「熱田の杜」と呼ばれる深い森に包まれている。戦国から江戸にかけては、この地を治めた武将たちがこぞって崇敬を寄せた社でもあった。

【草薙神剣と日本武尊】

草薙神剣は、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治したときにその尾から出たと伝わる剣である。伊勢神宮に納められていたこの剣を、東国平定に向かう日本武尊が叔母の倭姫命から授けられた。駿河で草原に火を放たれ窮地に陥ったとき、剣で草を薙ぎ払って難を逃れたことから「草薙剣」の名がついたという。

東征の帰路、日本武尊は尾張で宮簀媛命を妃とし、剣を媛のもとに留めたまま伊吹山へ向かい、そこで病を得て世を去った。残された宮簀媛命が剣を祀ったのが熱田神宮の始まりとされる。神話と歴史が交わる場所である。

【織田信長と桶狭間 — 信長塀】

この社の名を戦国史に刻んだのが、永禄三年(1560)五月の出来事である。今川義元の大軍が尾張へ攻め入ったとき、清洲城を飛び出した織田信長は、熱田神宮に立ち寄って戦勝を祈願してから桶狭間へ向かった。そして義元を討ち取るという、日本史上でも屈指の逆転劇を演じる。

信長は勝利の礼として、社に築地塀を奉納した。これが今日「信長塀」と呼ばれるもので、土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねて築いた堅牢な塀である。西宮神社の大練塀、三十三間堂の太閤塀と並んで「日本三大土塀」に数えられている。四百六十年を経てなお本殿の南に現存し、桶狭間へ向かう朝の信長が確かにここに立ったことを伝えている。桶狭間の戦いそのものについては信長公記の現代語訳でも詳しく触れている。

熱田神宮の社殿

熱田の杜に鎮まる社殿。信長も秀吉も家康も、この社に手を合わせた

【秀吉・家康と熱田】

熱田を崇敬したのは信長だけではない。豊臣秀吉はこの地の出身とも伝えられ、境内には秀吉が寄進したとされる石も残る。徳川家康もまた熱田を厚く遇し、幼少期に人質としてこの地に送られた際、熱田の加藤図書助の屋敷に預けられていたという因縁もあった。江戸時代には尾張徳川家の庇護を受け、東海道の宮宿として賑わう門前町とともに栄えていく。

宮宿からは、伊勢湾を渡って桑名城のある桑名宿へ「七里の渡し」が出ていた。東海道で唯一の海路である。神宮の門前は、単なる参詣地ではなく、旅と物流の結節点でもあった。

【境内の見どころ】

本殿は明治に伊勢神宮と同じ神明造に改められた。境内には信長塀のほか、佐久間勝之が奉納した高さ八メートルを超える大灯籠(日本三大灯籠のひとつ)、宮簀媛命を祀る内宮の別宮のような清雪門、そして石造りの二十五丁橋がある。二十五丁橋は名古屋最古の石橋と伝わり、板が二十五枚並ぶことからその名がついた。

宝物館には皇室や武将の奉納品が六千点あまり収蔵され、刀剣の名品が多いことでも知られる。草薙神剣を祀る社にふさわしい。

【熱田神宮・場所・アクセス】
〒456-8585 愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1-1

【熱田神宮地図】

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