米沢城:伊達政宗が誕生した城で関ヶ原の戦い後は直江兼続の居城となった米沢城

上杉景勝公と直江兼続公の主従像「天地人」
目次

米沢城(松が岬公園)とは

山形県米沢市にある米沢城は、いまは松が岬公園として整備され、本丸跡に上杉神社が鎮座する城跡である。天守を持たない平城ながら、本丸をめぐる水堀と土塁が往時の姿をよく残している。独眼竜・伊達政宗が生まれた城として、また関ヶ原の戦いのあと上杉家が270年にわたって藩主を務めた城として、東北の歴史に深く名を刻む名城だ。名君・上杉鷹山や名執政・直江兼続ゆかりの地としても知られ、上杉の「毘」と「龍」の軍旗がはためく城跡は、いまも多くの歴史ファンでにぎわう。

米沢城(松が岬公園)の石橋と上杉の軍旗

米沢城跡・松が岬公園の入口。上杉謙信を象徴する「毘」の軍旗が、水堀にかかる石橋にはためく

伊達政宗が生まれた城

米沢の地は、鎌倉時代以来この地を治めた長井氏に代わり、南北朝期から伊達氏の勢力下に入った。戦国時代には伊達氏の本拠となり、永禄10年(1567年)、後に奥州の覇者となる伊達政宗がこの米沢城で産声をあげた。政宗は米沢を拠点に南奥州へと版図を広げ、会津の蘆名氏を破って一大勢力を築く。だが豊臣秀吉の奥州仕置により会津を没収され、やがて岩出山、そして仙台へと本拠を移していった。

伊達政宗生誕之地の碑(米沢城)

米沢城は独眼竜・伊達政宗が生まれた地でもある。園内に生誕を示す石碑が立つ

政宗が去ったあとの米沢は、会津に入った蒲生氏の支城となり、次いで上杉領となる。城の歴史は、ここから上杉家とともに新たな時代を迎えることになる。

上杉景勝と直江兼続——会津120万石から米沢へ

上杉謙信の後継者・上杉景勝は、豊臣政権の五大老の一人として会津120万石を領していた。しかし慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与したことから、戦後、会津120万石から米沢30万石へと大減封されてしまう。こうして景勝は米沢城を居城とし、以後、幕末までの270年間、上杉家は米沢藩主としてこの地を治めることになった。

上杉景勝公の顕彰碑

上杉謙信の後継者・上杉景勝公の顕彰碑。会津120万石から米沢30万石へと減封されて入城した

この苦境の米沢藩を支えたのが、名執政・直江兼続である。「愛」の前立ての兜で知られる兼続は、石高が四分の一に減っても家臣を極力召し放たず、堀や城下町の整備、治水、殖産興業に力を注いだ。禄が大きく減ったなかで大所帯を養い、藩の礎を築いたその手腕は、いまも高く評価されている。城跡に立つ「天地人」の主従像は、景勝と兼続の固い絆を今に伝えている。

上杉景勝公と直江兼続公の主従像「天地人」

米沢藩の礎を築いた上杉景勝と、名執政・直江兼続の主従像「天地人」。紅葉が二人を彩る

上杉家の本拠だった越後の春日山城や、慶長出羽合戦で兼続が奮戦した長谷堂城とあわせて訪ねると、上杉家の歩みがより立体的に見えてくる。

名君・上杉鷹山の藩政改革

米沢藩を語るうえで欠かせないのが、9代藩主・上杉鷹山(治憲)である。鷹山が藩主となったころ、米沢藩は減封と大所帯のしわ寄せで、藩を返上する話まで出るほど財政が破綻寸前だった。鷹山はみずから質素倹約を実践し、殖産興業を進め、藩校「興譲館」を再興して人材を育てた。

上杉鷹山公之像

破綻寸前の米沢藩を再建した名君・上杉鷹山公の像。傍らに「なせば成る…」の和歌碑が立つ

鷹山が家督を譲る際に次代へ示した「伝国の辞」は、国家や人民は君主の私物ではなく、領民のために存在するのだと説く、きわめて先進的な統治理念だった。彼の「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の歌は、困難に立ち向かう心構えを説く言葉として今も広く親しまれている。後年、アメリカのケネディ大統領が「最も尊敬する日本人」として鷹山の名を挙げたという逸話も、その名声を物語っている。

米沢藩最後の殿様・上杉茂憲

上杉家14代・上杉茂憲は、米沢藩最後の藩主となった人物である。廃藩置県後、茂憲は第二代沖縄県令として沖縄へ赴任し、県内をくまなく視察して教育の振興や産業の改革に力を注いだ。私費を投じて青年を東京へ留学させるなど、その献身は沖縄の近代化・教育に大きな足跡を残した。鷹山以来の「民を思う」上杉家の気風が、幕末・明治の当主にまで受け継がれていたことがうかがえる。

米沢藩最後の藩主・上杉茂憲公の案内板

米沢藩最後の殿様・上杉茂憲。のちに沖縄県令として沖縄の教育・産業振興に力を尽くした

上杉神社と松が岬公園

明治に入ると、米沢城の本丸跡には上杉謙信を祀る上杉神社が創建され、城跡一帯は松が岬公園として市民に親しまれるようになった。境内の松岬神社には、鷹山・景勝・兼続・茂憲らが祀られている。

別格官幣社 上杉神社の社号標

本丸跡に鎮座する上杉神社。米沢の総鎮守として上杉謙信を祀る

参道には上杉ゆかりの奉納幟がはためき、水堀にかかる石橋の両側には、上杉謙信の軍旗である「毘(毘沙門天)」と「龍(懸り乱れ龍)」の旗がひるがえる。城の建物こそ残らないが、堀と土塁、そして上杉家への敬愛が息づく空気は、訪れる人を戦国から幕末へと続く米沢の物語へといざなってくれる。

上杉神社の参道と奉納幟

上杉神社の参道。ゆかりの地の奉納幟が並び、上杉家への敬愛を今に伝える

米沢城の水堀

本丸を囲む米沢城の水堀。天守を持たない平城で、堀と土塁が往時の姿を今に伝える

訪れた記念に

松が岬公園の石橋にて

「毘」と「龍」——上杉謙信の二つの軍旗がはためく石橋。米沢城を象徴する風景だ

米沢城・場所・アクセス

〒992-0052 山形県米沢市丸の内一丁目

米沢城地図

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