竹田城:圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城【お城特集 日本の歴史】

竹田城:赤松広秀が城主であった天空の城 竹田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
竹田城

【城の説明】
但馬の国に盤踞する「竹田城」は豊臣時代に大々的に改修された総石垣の山城である。もともとは山陰地方に勢力を持っていた山名家の家臣「太田垣氏」によって築城されたのが始まりである。

その後戦国時代に入り、中国地方攻略の担当官に任命された織田家武将の「羽柴秀吉」によって攻略され落城する。以降、秀吉の弟「秀長」が治める城となる。その後、竹田城は但馬の国の拠点として「赤松広秀」が城主に任命され、城の改修を進めた。

竹田城:赤松広秀が城主であった天空の城 竹田城【お城特集 日本の歴史】
写真提供:吉田利栄

竹田城は典型的な山城で、城のまわりは圧倒される程の石垣で囲まれたており、総石垣の城に作り上げられた。戦国時代も後期に入ると、天下は「徳川家康」のもとなりつつあり、その家康の台頭を快く思わない「石田三成」率いる西軍との間で「関ヶ原の戦い」が勃発する。

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写真提供:吉田利栄

山陰地方にも戦の波は押し寄せ、石田三成率いる西軍に与した鳥取城の宮部氏を討伐するため、広秀は城攻めに加わった。その鳥取城攻めでは城を消失しないで落とす意向を家康から伝えられていたが、同じく城攻めに加わった「亀井茲矩」とともにその責務を果たせなかった。家康の心証を悪くした「茲矩」と「広秀」だったが、結局は「広秀」が責任を取らされて切腹することになる。

竹田城:赤松広秀が城主であった天空の城 竹田城【お城特集 日本の歴史】
写真提供:吉田利栄

ここに城主を失った竹田城は廃城とされた。現在は天守跡の台座や多くの石垣が綺麗に保存されて残っている。また、竹田城は国指定史跡に認定されており、日本100名城56番にも選定されている。近年では多くの観光客で賑わう城となっており、雲海に囲まれた竹田城は天空にある城のように見えることから、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれている。

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写真提供:吉田利栄






【竹田城・場所・アクセス】
〒669-5254 兵庫県朝来市和田山町

【竹田城地図】



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