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【筆者の妄想】坂口涼太郎が演じる磐覚(ばんかく)の一生を勝手に書いてみた ─ 一乗院の坊官は、なぜ秀長の前に立ったのか(豊臣兄弟!)
この記事のポイント『豊臣兄弟!』で坂口涼太郎さんが演じる一乗院の坊官・磐覚は、史料にいない創作の人物です。この記事は、その一生を筆者が勝手に想像して書いた「妄想の伝記」です坊官の家に生まれ、一乗院で帳面をつけて育ち、松永久秀と筒井順慶の... -
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茶々はなぜ淀殿と呼ばれたのか:秀長が普請した淀城と、五百メートル離れたもう一つの淀城|『豊臣兄弟!』第39回
淀殿の名は淀に住んだからで、鶴松を産んだからではありません。城は懐妊を受けて秀長が普請したもの。しかも茶々がいた淀古城と、いま残る淀城址は五百メートル離れた別の城です。「淀君」という呼び名がいつ生まれたかまで。 -
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『豊臣兄弟!』間宮祥太朗が演じる才蔵は筆のほかに何を売った? 郡山の町名と多聞院日記から読む戦国奈良の商い ─ 綿・藍染・茶・豆腐から刀、赤膚焼の伝承まで
※この記事には、アフィリエイト広告(楽天ブックスなど)へのリンクが含まれています。 この記事のポイント『豊臣兄弟!』の才蔵が筆のほかに何を扱っていたのかは、放送前の時点ではわかりません。また、戦国時代の奈良の筆屋が筆以外に何を売っていたか... -
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戦国の商人はどうやって成功したのか:支店も広告もない時代に、商売の勝ち負けを決めたもの
支店は江戸中期、チラシは天和三年、屋号を文字で掲げる暖簾は桃山の終わりから。戦国の商いを決めたのは品物ではなく、座・地子免除・御用という「資格」でした。秀長が郡山でやったことと、狩野永徳の筆屋の名が残っていない理由。 -
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安土山図屏風はどこへ消えたのか:信長がローマ教皇に贈った安土城の絵と、描いたのは狩野永徳か父の松栄かという問題
信長は安土城を描かせた屏風を天皇に見せ、宣教師に贈り、天正遣欧少年使節がローマ教皇に献上しました。バチカンで見た人の記録を最後に行方不明です。安土城の姿を伝える唯一の同時代の絵をめぐる話。 -
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歴史探偵『医学天正記』とは:日本最古のカルテに残る輝元・氏郷・茶々の病と、秀次切腹のもうひとつの理由
この記事のポイント NHK「歴史探偵」が取り上げた『医学天正記』は、秀吉お抱えの医師・曲直瀬玄朔が書いた、現存する日本最古のカルテです 朝鮮出兵では毛利輝元や蒲生氏郷が病に倒れ、大名たちの病の連鎖が出兵の行方を左右しました 藤堂高虎の冷え、黒... -
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秀長の家老・横浜一庵と小川下野守はどこの城を与えられたのか:五万石なのに城を持たなかった家老、知行も城も不明な家老 ─ 郡山城の法印曲輪、小川町、伊予の国分山城
この記事のポイント秀長の三家老のうち、城主として城を預かったことがはっきりしているのは羽田正親(小泉城→宇陀松山城)だけです家中最高の五万石を得た横浜一庵には、自分の城を持った記録がありません。そのかわり、秀長の本城・大和郡山城の一角に屋... -
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豊臣秀長は実際に何をしていたのか:武勇伝ではなく、帳簿と文書に残っている仕事から見る
墨俣も金ヶ崎も使いません。大名との交渉、指出と検地、奈良の商いの移転、紀州の刀狩、熊野の材木、家臣団の編成。十津川に残る三通の文書まで、記録に残っている秀長の仕事だけを並べました。 -
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片岡鶴太郎が演じた歴史上の人物・時代劇の役まとめ:大河八作で北条高時から摂津晴門、鳥山石燕、そして狩野永徳へ
『豊臣兄弟!』の狩野永徳は、片岡鶴太郎にとって八作目の大河。しかも八作すべてで実在の人物を演じています。北条高時・井上元兼・英一蝶・岩倉具視・小寺政職・摂津晴門・鳥山石燕、そして狩野永徳。絵師役が四本ある理由も見えてきます。 -
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磐覚(ばんかく)は今後も出てくるのか:坂口涼太郎が演じる一乗院の坊官と、興福寺のその後
磐覚はNHK発表では第三十七回・第三十八回の人物。そして史料に名の見えない人物です。では彼が仕えた一乗院と坊官という立場は、その後どうなったのか。寺領の行方から、明治の還俗、唐招提寺に移された宸殿までをたどります。 -
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伊藤健太郎が演じた歴史上の人物・時代劇の役まとめ:『光る君へ』の双寿丸、『アシガール』の若君、源義経から『豊臣兄弟!』の庄屋・石川清兵衛へ
この記事のポイント『豊臣兄弟!』第37回から、大和郡山の庄屋・石川清兵衛を演じているのは伊藤健太郎さんです伊藤さんはこれまでにも、戦国の若君(『アシガール』)、平安の若い武者・双寿丸(大河『光る君へ』)、源義経(平泉の春の藤原まつり)など... -
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小川祐忠とは:関ヶ原で東軍に寝返ったのに改易された伊予今治七万石の大名 ─ 秀長の三家老・小川下野守と同一人物説は本当か
この記事のポイント小川祐忠(おがわ すけただ)は近江の国衆の出身で、浅井・織田・明智・柴田勝豊・豊臣と主君を替え、文禄4年(1595)に伊予今治で七万石の大名になりました。居城は今治(国分城)で、伊予松山ではありません慶長5年(1600)の関ヶ原の... -
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豊臣兄弟!第38回の予想7つ、答え合わせ ─ 才蔵の筆は永徳が使った? 奈良の商売禁止は「説得」に変わった? 的中は1つ、半分当たりが1つ
この記事のポイント10月4日(日)放送の『豊臣兄弟!』第38回「和を以て、大和をなす」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に7つ予想しました(放送後、答え合わせを追記しました)才蔵(間宮祥太朗)の筆を狩野永徳(片岡鶴太郎)が使う... -
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興福寺と東大寺は本当に「悪」だったのか:『豊臣兄弟!』の寺社と史実 ─ 寺領の村の年貢、領主への負担、お布施のしくみ
この記事のポイント『豊臣兄弟!』第37回では、興福寺の坊官・磐覚(坂口涼太郎)が年貢を寺に集める仕組みを守ろうとし、寺社は秀長の改革を阻む側として描かれました寺領の村の農民が年貢を納める先は、原則としてその土地の領主である寺でした。大和に... -
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才蔵のモデルはいたのか:『豊臣兄弟!』間宮祥太朗が演じる筆屋と、戦国の奈良・郡山に実在した商人たち
※この記事には、アフィリエイト広告(楽天ブックスなど)へのリンクが含まれています。 この記事のポイント第38回「和を以て、大和をなす」で間宮祥太朗さんが演じる筆屋の才蔵は、史料に名前が見えない人物で、ドラマが生んだ人物と考えられますただ、才... -
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豊臣兄弟!全話一覧:第1回からのサブタイトル・放送日と、各回の史実の舞台(毎週更新)
この記事のポイント大河ドラマ『豊臣兄弟!』の全話を、回数・放送日・サブタイトルの一覧にまとめました。毎週、放送に合わせて一行ずつ追記します各回に「史実の舞台」として、その回が描く年と出来事を添えています。ドラマの筋ではなく、歴史のどこに... -
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豊臣兄弟!史実ではこの後どうなる?第38回以降の年表 ─ 家康の臣従、九州攻め、そして秀長の死まで
この記事のポイント第38回(10月4日放送)の舞台は天正13年(1585)、秀長が大和郡山に入った直後です。秀長が亡くなる天正19年(1591)1月まで、史実では残り五年半しかありませんこの五年半で、家康の臣従、九州攻め、聚楽第と北野大茶湯、刀狩、鶴松の... -
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豊臣兄弟!第41回「家康の野望」あらすじ予想と史実|大政所の人質、秀長の屋敷の夜、家康の上洛
この記事のポイント第41回「家康の野望」は10月25日(日)放送の予定です。秀吉が実の母まで人質に出して家康を上洛させ、秀長は家康に「ともに天下を支えよう」と直談判します史実でも天正14年(1586)10月、大政所が岡崎に入り、それと入れ替わるように... -
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豊臣兄弟!第40回「あさひの輿入れ」史実解説|天正地震で消えた家康攻めと、44歳の花嫁
この記事のポイント第40回「あさひの輿入れ」は10月18日(日)放送の予定です。徳川との決戦の直前に大地震が起き、家康は秀吉の妹・あさひの輿入れを和睦の条件に持ち出します史実の天正地震は天正13年11月29日(西暦では1586年1月18日)の夜に起きました... -
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豊臣兄弟!第39回「茶々の本心」史実解説|石川数正の出奔と、秀吉が茶々を迎えるまで
この記事のポイント第39回「茶々の本心」は10月11日(日)放送の予定です。徳川の重臣・石川数正が大坂城に呼ばれ、秀長は秀吉に茶々を妻に迎えるよう勧めます史実の石川数正は、天正13年(1585)11月に岡崎城を出て、妻子とともに秀吉のもとへ走りました...
