福岡城:黒田長政 関ヶ原の功績で筑前52万石の太守へ 黒田家の居城 福岡城【お城特集 日本の歴史】

福岡城:黒田長政 関ヶ原の功績で筑前52万石の太守へ 黒田家の居城 福岡城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
福岡城

【福岡城の説明】
福岡城は福岡県福岡市にあった黒田家の梯郭式平山城である。福岡という名は黒田家に縁の深い岡山県長船町の「福岡」という地名から名付けられた。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」の功績により黒田家は豊前中津12万石から筑前名島52石へと加増転封された。

なお、関ヶ原の戦いに参戦していたのは「黒田官兵衛」の嫡男の長政である。この時、官兵衛は隠居しており中津の城にいたが「関ヶ原の戦い」の混乱に紛れ九州全土を席捲し、中央へ打って出る画策をしていたと言われている。

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しかし、関ヶ原の戦いは一日で決着がつき徳川家康率いる東軍の勝利に終わった。家康は官兵衛の九州での働きの裏にある陰謀(野望)めいたものを敏感に嗅ぎ取り、官兵衛の功績は一切無視した。

一方筑前へ加増転封となった黒田家では当初「名島城」を拠点としていたが、交通の便や今後の治世を考慮し現在の福岡城の地を選定し築城を開始した。福岡城は本丸を囲むように二の丸・三の丸が構築され、強固な門や櫓を多く作り櫓は多聞櫓とした。そして城下町の整備も精力的に行い現在のような福岡の町の礎が出来あがった。

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なお、本丸の天守は幕府の目をはばかり建立しなかったと言われている。黒田家の治世は江戸時代を通して続き、そのまま明治維新を迎えた。明治時代に発令された「廃城令」により城の多くは解体・破却されてしまったが、現在の福岡城跡は「舞鶴公園」として整備され人々の憩いの場となっている。また、福岡城は日本100名城85番に選定されている。






【福岡城・場所・アクセス】
福岡県福岡市中央区城内

【福岡城地図】



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