
【藩名】
下総飯田藩
【説明】
徳川氏譜代の家臣である「青山成重」は慶長8年(1603年)12月25日、下総国内において5000石を加増され1万石の大名となった。そして下総飯田藩を立藩した。
しかし成重は「大久保長安」の三男を養子として迎えていたことから、長安没後の「大久保長安事件」の連座として7000石没収の上、下総国香取郡に閉居となる。このため、青山成重は3000石の旗本となり下総飯田藩は廃藩となった。
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