【城名】
花隈城
【花隈城の説明】
花隈城は兵庫県神戸市中央区の元町駅西方にあった平山城です。
築城時期は「織田信長」が永禄10年(1567年)、荒木村重に命じて築かせたと伝わる説と、永禄11年(1568年)に和田惟政に摂津国を与えた時に築かせたとの説があります。

また、荒木村重が石山本願寺への備えとして築いたととも伝わっているので、はっきりとしたことは不明です。天正6年(1578年)、村重が信長に反旗を翻したため「花隈城」は村重の本城「有岡城」の支城として戦ったが、池田恒興などに攻められて天正8年(1580年)に落城しました。

この合戦の功により摂津を与えられた池田恒興は新たに「兵庫城」を築城したため、花隈城は廃城となりました。有岡城の合戦時は、有岡城と尼崎城が落城し花隈城が最後の牙城となりました。しかし、紀州雑賀党の援軍なども着陣し、花隈城は落城しました。


現在の花隈城跡は公園として整備されており、「花隈城天守閣址碑」や「花隈城跡」などの石碑があります。

荒木村重の反乱、最後に残った城
天正六年(一五七八)、摂津を任されていた荒木村重が織田信長に背きました。本城の有岡城は一年あまりの籠城の末に落ち、尼崎城も手を離れます。そのなかで最後まで残ったのが花隈城でした。村重の反乱は、石山本願寺や毛利と結ぶかたちで起き、瀬戸内の海運を押さえる花隈の位置がそのまま意味を持ちます。
池田恒興との戦い
攻めたのは池田恒興とその子たちです。籠もる側には紀州の雑賀衆の援軍も入り、城の外に出て野戦になる場面もありました。それでも天正八年(一五八〇)、花隈城は落ちます。この功で摂津を与えられた恒興は、海に近い場所に兵庫城を新しく築き、花隈城は廃城となりました。村重自身は城を出て毛利を頼り、のちに茶人として生きます。
誰が築いたのかは分かっていない
築城の経緯には説がいくつかあります。信長が村重に命じて築かせたという話、摂津を任された和田惟政が築いたという話、村重が石山本願寺に備えて築いたという話です。いずれも決め手がなく、はっきりしません。分かっているのは、神戸の海と街道を見下ろす高台にあり、押さえどころとして繰り返し使われたということです。
現地はいま
城跡は花隈公園として整備されています。公園の下は駐車場で、外観は石垣を模した造りになっています。園内には「花隈城天守閣址」の碑が立ち、高台から神戸の港の方向を見渡せます。元町駅や花隈駅から歩いてすぐで、三ノ宮の中心部からも近い場所です。城の用語は城の基本用語にまとめました。
【花隈城・場所・アクセス】
〒650-0013 兵庫県神戸市中央区花隈町1
【花隈城地図】

