- 穴山小助と根津甚八は、講談で真田幸村の影武者を務めたとされる真田十勇士の二人です
- 大坂夏の陣で幸村の身代わりとなって討たれたという伝説が知られますが、史実として確かめられた話ではありません
- 名字は、武田一族の穴山氏と、真田氏と同じ滋野一族の根津氏に由来すると考えられています
ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』で、浜野謙太さんが穴山小助、金田哲さんが根津甚八を演じています。講談の世界では、この二人はともに真田幸村の「影武者」として知られ、大坂夏の陣で幸村の身代わりとなって討たれたという話が語り継がれてきました。ここでは、二人の伝承と影武者伝説、名字のもとになった実在の一族、そしてドラマの設定を紹介します。
穴山小助とは
穴山小助は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる真田十勇士の一人で、講談では幸村と背格好や顔立ちがよく似ていたため、影武者を務めたとされる人物です。槍の腕前にもすぐれ、幸村のそばに常に控える忠臣として描かれ、大坂夏の陣では幸村の鎧を着て敵を引きつけ、討死したという筋立てがよく知られています。
「穴山」は、甲斐の武田氏の一族として知られる名字で、武田信玄の娘婿だった穴山信君(梅雪)がとくに有名です。真田家はもともと武田家に仕えていたので、十勇士の物語が真田家の周辺にいた武田ゆかりの名字を借りて人物をつくったと考えられています。小助自身が実在したことを示す確かな史料はありません。
根津甚八とは
根津甚八も十勇士の一人で、講談ではもとは海賊の頭領だった豪傑で、のちに幸村に仕えたとされています。甚八にも、大坂夏の陣で幸村の影武者となり、身代わりとして討たれたという伝承があり、小助と並んで「幸村の身代わり」を代表する人物になっています。
「根津」は信濃の名族・滋野一族の家の名で、海野氏・望月氏と並んで「滋野三家」と呼ばれました。真田氏もこの滋野一族の流れをくむとされていて、根津の名は真田家にとって近しい一族の名だったことになります。甚八自身の実在は確かめられていませんが、真田の家に近い一族の名を借りた人物と考えられています。なお、俳優の根津甚八さんの芸名は、この十勇士の根津甚八からとられたものとして知られています。
大坂夏の陣と「幸村の影武者」伝説
影武者の伝説が生まれた背景には、大坂夏の陣での幸村の戦いぶりがあります。慶長20年(1615年)5月7日、幸村は天王寺口から家康の本陣めがけて突撃をくり返し、家康を一時は追い詰めたと伝えられますが、ついに力尽きて討たれました。この激しい戦いの中で、幸村は自分と同じ姿の武者を何人も戦場に放って敵を混乱させた、という話が後の時代に語られるようになり、その身代わりの役を担った人物として、小助や甚八の名があてはめられていったと考えられます。物語によって、影武者になるのが小助なのか甚八なのかは変わります。大坂の陣の流れは大坂の陣をわかりやすく解説で紹介しています。
ドラマ『真田十勇士』の穴山小助・根津甚八
ドラマの穴山小助(浜野謙太)は、十勇士の頭脳を担う軍師的な存在として、根津甚八(金田哲)は、できることなら一生遊んで暮らしたいと呑気に構える中年忍者として描かれています。第1話の上田合戦の回想では、二人とも真田方として戦う姿が描かれました。講談で語られてきた影武者の役回りが、ドラマでどのように生かされるのかも注目したいところです。ほかの配役は『真田十勇士』キャスト・相関図一覧にまとめています。
よくある疑問
Q. 穴山小助と根津甚八は実在しましたか?
A. どちらも実在を示す確かな史料はなく、講談の中で生まれた人物と考えられています。名字は、武田一族の穴山氏や、信濃の滋野一族の根津氏に由来するとみられます。
Q. 幸村の影武者は誰だったのですか?
A. 講談では穴山小助や根津甚八が影武者を務めたとされますが、物語によって異なり、史実として確かめられた話ではありません。
Q. ドラマで二人を演じるのは誰ですか?
A. 穴山小助を浜野謙太さん、根津甚八を金田哲さんが演じています。
まとめ
穴山小助と根津甚八は、講談で真田幸村の影武者として知られる真田十勇士の二人で、名字はそれぞれ武田一族の穴山氏、信濃の滋野一族の根津氏に由来すると考えられます。大坂夏の陣での幸村の奮戦が生んだ影武者伝説を知っておくと、ドラマの二人の役どころもより楽しめそうです。十勇士全体については真田十勇士とはで紹介しています。
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