奈良筆(ならふで)は、奈良でつくられる毛筆で、日本の筆づくりの原点ともいわれます。始まりは平安時代の初め、唐から帰った空海が筆の作り方を伝えたことにさかのぼると伝わります。十数種類の獣毛を性質ごとに組み合わせる「練り混ぜ」の技が特徴で、昭和五十二年(1977)に国の伝統的工芸品に指定されました。寺社の町・奈良の名産で、秀長が奈良の商人を郡山へ移そうとした歴史が『豊臣兄弟!』の筆屋・才蔵の背景になっています。
- 空海が唐から持ち帰った製法を、大和の坂名井清川に伝えたのが始まりと伝わる
- 寺社の多い奈良では写経や記録のために筆の需要が大きく、筆づくりが根づいた
- 戦国時代までの筆は、芯を紙で巻き固める「巻筆」。江戸時代に、いまにつながる筆へ変わった
- 羊・馬・鹿・狸・イタチなど十数種類の毛を「練り混ぜ」て穂をつくる
- 櫛抜きから完成まで、手作業の工程が十四ほど続く
奈良筆とは:日本の筆づくりの原点といわれる筆
奈良筆は、書道や日本画に使われる毛筆で、奈良市とその周辺でつくられています。昭和五十二年(1977)十月に、国の伝統的工芸品に指定されました。いまも機械を使わず、職人が一本ずつ手でつくる高級な筆が中心です。
奈良筆の特徴は、穂に使う毛の組み合わせにあります。一種類の毛だけでつくるのではなく、硬さや長さ、墨の含み具合の違う毛を何種類も混ぜ合わせ、書く人の目的に合った一本に仕上げます。この技を「練り混ぜ」といいます。ドラマの筆屋・才蔵と奈良筆の関係は才蔵とはで紹介しています。
はじまりは空海と坂名井清川
筆そのものは、飛鳥時代に中国から文字や仏教とともに伝わりました。奈良時代には写経が盛んになり、筆の需要が大きく増えます。東大寺の正倉院には、この時代の筆が伝わっています。
奈良筆の由来として語られるのは、平安時代の初め、九世紀のことです。唐で学んだ空海(弘法大師)が筆の作り方を持ち帰り、それを大和国の坂名井清川(さかないのきよかわ)に伝えました。清川がつくった筆は嵯峨天皇に献上されたといいます。奈良が「筆のふるさと」と呼ばれるのは、この伝えによるものです。墨も同じように仏教とともに奈良に根づきました。その歩みは奈良墨とはで紹介しています。
寺の町が筆を育てた ── 中世から戦国へ
奈良には興福寺や東大寺をはじめ、大きな寺社が集まっていました。経を写し、記録を残し、文書をやりとりするには、大量の筆と墨が要ります。寺社の需要が、奈良の筆づくりを支えました。
鎌倉・室町時代になると、武士や僧侶のあいだで書の文化が広がり、禅宗の書風も入ってきます。大名に仕える御用の筆師も現れ、筆の質が高められていきました。戦国時代の奈良の商人は、寺社の保護のもとで座をつくり、商いの権利を守っていました。その仕組みは座とはで扱っています。
戦国の奈良筆と、秀長の城下町づくり
戦国時代の筆は、「巻筆(まきふで)」と呼ばれる作りでした。芯になる毛を紙でしっかり巻き固め、その上に薄く毛をかぶせて穂をつくります。穂の根元が固いので、いまの筆とは書き味がかなり違いました。
天正十三年(1585)に秀長が大和に入ると、郡山の城下町づくりのために奈良の商人を郡山へ移そうとします。奈良の豪商たちは古くからの特権を手放したがらず、秀長の方針とぶつかりました。この対立は才蔵と奈良の豪商はなぜ対立したのかで、郡山の商人たちがつくった自治の町は箱本十三町とはで紹介しています。
巻筆から水筆へ ── 江戸時代の変化
筆の作りが大きく変わったのは江戸時代です。元禄のころ、書家の細井広沢が、紙で巻き固めない「水筆(すいひつ)」を広めたとされます。穂の全体に墨を含ませて書けるこの形が、いまの筆につながっていきました。
江戸時代の奈良町には多くの筆職人が住み、全国へ奈良筆を送り出しました。ほかの産地の筆づくりにも、奈良の技術が影響を与えたといわれます。江戸時代の奈良町の商いのようすは奈良墨とはでも触れています。
十数種類の毛を「練り混ぜ」る

奈良筆の穂の構造と、できあがるまでの十四の工程(工程名は奈良筆の筆屋「あかしや」の解説による)
奈良筆に使われる毛は、羊(山羊)・馬・鹿・狸・イタチ・兎・猫・リス・ムササビなど、十数種類にのぼります。同じ動物でも、取れた季節や体の部位によって、硬さや弾力、墨の含み具合が違います。
練り混ぜでは、毛の種類ごとに水に浸して整え、筆の用途に合わせて割合を決めて混ぜ合わせます。穂の中心には腰の強さを生む「芯毛」を、外側には「上毛(うわげ)」を巻き、穂先のいちばん細い部分は「命毛(いのちげ)」と呼ばれます。何をどれだけ混ぜるかは、職人の経験に任されています。戦国時代の筆の作りとの違いは才蔵とはの「戦国の筆は、いまの筆と作りが違った」の節でも紹介しています。
奈良筆ができるまで ── 十四の工程
奈良筆の筆屋「あかしや」の解説では、筆ができあがるまでの工程が十四に分けられています。灰で毛の脂を抜く「毛もみ」、毛先をそろえる「先揃え」、逆向きの毛を抜く「逆毛抜き」を経て、「練り混ぜ」でようやく穂の形が見えてきます。そのあと芯を立て、上毛をかけ、根元を締め、糊を入れて形を整えます。
- 櫛抜き
- 毛もみ
- つめ抜き
- 先揃え
- 逆毛抜き
- 寸切り
- 平目合わせ
- 練り混ぜ
- 芯立て
- 上毛かけ
- おじめ
- のり入れ
- なぜ
- 完成
工程の呼び名や数は筆屋によって違いますが、毛を選び、そろえ、混ぜ、まとめるという流れは同じです。秀長が大和を治めていたころの奈良の産業全体は秀長は寺社の国・大和をどう治めたのかで紹介しています。
奈良筆と奈良墨 ── 筆と墨がそろった町
奈良は筆だけでなく墨の産地でもあります。興福寺の灯明のすすから生まれた「南都油煙」は、奈良墨の始まりとして知られます。書くための道具が二つともそろって育ったのは、寺社の町だった奈良ならではです。詳しくは奈良墨とはをどうぞ。
いま奈良筆にふれるには
奈良市内には、いまも奈良筆をつくり売る筆屋があり、店によっては筆づくりの体験も受け付けています。学問の神・菅原道真をまつる菅原天満宮(奈良市)は筆の神としても信仰され、奈良筆にちなむ祭りが行われてきました。訪ねる前には、各店や神社の案内で最新の情報を確かめてください。秀長の城下町・郡山とあわせてめぐるなら、なぜ秀長は大和郡山に百万石を与えられたのかも参考になります。
ドラマではこう描かれています
まとめ
奈良筆は、空海が伝えた製法に始まると伝わる、日本の筆づくりの原点ともいわれる筆です。寺社の町の需要に支えられ、戦国時代には巻筆として、江戸時代には水筆として姿を変えながら受け継がれてきました。十数種類の毛を練り混ぜる技と、十四ほどの手作業の工程は、いまも職人の手に残っています。秀長の生涯は豊臣秀長とはからどうぞ。
参考
- 奈良県「ならの伝統工芸 奈良筆」
- 奈良市観光協会「匠が受け継ぐ伝統の技 奈良の工芸」
- 奈良筆 あかしや「奈良筆について」
- 中川政七商店の読みもの「奈良筆とは」

