武蔵本庄城:武蔵七党の一つ児玉党の一族本庄氏の居城 本庄城【お城特集 日本の歴史】

武蔵本庄城/アクセス・場所・地図 武蔵七党の一つ児玉党の一族本庄氏の居城 本庄城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
武蔵本庄城

【武蔵本庄の説明】
本庄城は埼玉県本庄市にあった平城である。
武蔵七党の一つ「児玉党」の一族「本庄氏」によって築かれたとされている。

「本庄実忠」が古河公方家を迎え撃つために東本城館より移り、それ以降ここを本拠地に定めた。永禄10年(1567年)には相模の北条氏により落城させられ降伏しこれに従う。

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条征伐の軍を起こすと本庄氏当主は小田原城へ籠城し、落城に際して自害。同年5月には本庄城も落城し、ここに鎌倉時代から本庄の地を支配してきた武蔵国の本庄氏は滅亡した。

北条氏の滅亡後は徳川家康が関東を拝領し、本庄城には家康家臣の「小笠原信嶺」が1万石にて入封した。慶長17年(1612年)小笠原家が古河藩に加増移封になると本庄城は廃城となった。

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城が廃城になると城下町付近には本庄宿が形成されていくことになる。現在の本庄城跡は本庄市役所付近にあり土塁や曲輪などの遺構が残されている。






【武蔵本庄城・場所・アクセス】
埼玉県本庄市本庄

【武蔵本庄城地図】



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