土浦城:小田城の落城後は小田氏治が本城としていた土浦城【お城特集 日本の歴史】

土浦城/アクセス・場所・地図 小田城の落城後は小田氏治が本城としていた土浦城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
土浦城

【土浦城の説明】
土浦城は茨城県土浦市に古くからあった平城である。
築城時期は室町時代に常陸国守護の末裔小田氏の家臣「若泉三郎」によると伝えられている。

戦国時代に入ると小田氏の家臣「菅谷勝貞」がこの城を攻め落とし城主に治まる。この頃、常陸の国では上杉・佐竹氏と武蔵・下総・上総にまで勢力を伸ばした北条氏との間で戦が起こっており、北条氏に与していた小田氏は徐々に勢力を削がれついに小田城を奪われた。

土浦城/アクセス・場所・地図 小田城の落城後は小田氏治が本城としていた土浦城【お城特集 日本の歴史】

小田城を追われた「小田氏治」は家臣の「菅谷範政」が城主の土浦城へ逃げ込み、天正13年(1583年)、ついに「佐竹義重」に降伏し軍門に降る。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条征伐を開始すると氏治は「北条氏政」に味方するが、北条氏が秀吉の軍門に降ると小田氏・菅谷氏も改易・お家断絶となった。

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名実ともに天下人となった豊臣秀吉は北条氏の領地を徳川家康に与え、その家康は土浦城を次男「結城秀康」に与えた。秀康が越前国へ移封になると次々と城主が変わり、最後は「土屋政直」が6万5千石で入封し、徐々に加増され最終的には9万5千石となり常陸国では水戸藩に次ぐ大名となり幕末を迎えている。

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土浦城付近は度々水害にあったが城だけは水没せず、亀の甲羅のように突き出ていたため別名「亀城」とも呼ばれている。また、櫓門と霞門は江戸期からの建造物で、西櫓、東櫓が復元されている。

本丸跡には市役所が建っていたが消失したあと、取り壊され移転し現在は広場として利用されている。






【土浦城・場所・アクセス】
〒300-0043 茨城県土浦市中央1-13

【土浦城地図】



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