【城名】
新井城
【新井城の説明】
新井城は神奈川県三浦市の三浦半島の先端あった断崖絶壁の城である。
築城時期は不明だが鎌倉時代後期に滅びた三浦氏宗家の後、相模三浦氏を興した「佐原盛時」が築城したとされている。

戦国時代初期「三浦時高」には実子がなく、扇谷上杉氏から「義同(道寸)」を養子として迎えた。しかし、その後「時高」に実子「高教」が生まれたため道寸は一時期実家である上杉氏へ戻っている。

明応3年(1494年)9月、道寸は小田原城の大森氏の支援を受けて「時高」「高教」親子を滅ぼし三浦家当主の座に就いた。永正9年(1512年)、北条早雲は相模統一を掲げて東進を開始し三浦氏の居城を次々と落としていった。

そして、三浦氏最後の牙城「新井城」へと追い込まれ道寸は籠城戦を展開する。籠城すること3年あまり、ついに永正13年(1516年)新井城は落城し三浦氏は滅亡する。

その後、北条氏の居城となり「氏綱」「氏康」へと引き継がれ、豊臣秀吉の「北条征伐」により小田原城が降伏・開城すると新井城は廃城となった。城の遺構はあまり残っておらず三崎町に「三浦道寸」の墓が残る。
三浦氏最後の砦・新井城の戦い
永正9年(1512年)以降、北条早雲(伊勢宗瑞)の相模侵攻を受けた三浦道寸は、岡崎城・住吉城などを次々に失い、最後は三方を海と断崖に囲まれた天然の要害・新井城(油壺)にこもりました。子の三浦義意(荒次郎)とともに約三年にわたって籠城し、壮絶に抵抗しますが、永正13年(1516年)7月11日、ついに力尽きて城兵ことごとく討って出て決戦にのぞみ、道寸は自刃。鎌倉以来の名門・相模三浦氏はここにその歴史を閉じました。道寸が詠んだと伝わる辞世の歌「討つ者も討たるる者もかわらけよ 砕けて後はもとの土くれ」は、勝者も敗者もいずれは同じ土に還るという無常の境地を伝えるものとして知られています。※落城の年次には永正15年(1518年)とする異説もあります。
新井城の現地写真

三浦道寸の生涯と辞世の歌を記した案内板(三浦市)

新井城跡に立つ「新井城碑」と「海蔵寺開基 三浦陸奥守義同公 武勇之本地址」の碑

玉垣に囲まれた三浦道寸公の墓。今も献花が絶えない

墓石には「陸奥守道寸義同公之墓」と刻まれている

【新井城・場所・アクセス】
〒238-0225 神奈川県三浦市三崎町小網代1024
【新井城地図】

