加納藩/永井家3万2千石:永井尚服 戊辰戦争では東山道鎮撫総督府軍「岩倉具定」に帰順した加納藩【幕末維新写真館】

加納藩/場所・アクセス・地図 永井家3万2千石:永井尚服 戊辰戦争では東山道鎮撫総督府軍「岩倉具定」に帰順した加納藩【幕末維新写真館】

【藩名】
加納藩

【説明】
宝暦6年(1756年)、陸奥磐城平藩へ移された「安藤信成」に代わって武蔵岩槻藩主「永井直陳」が3万2,000石で入封する。第4代藩主「永井尚佐」は若年寄に昇進し、第5代藩主「永井尚典」は武家諸法度に倣って「条々」・「定」・「覚」から成る家中制度を制定し、家臣団統制を強めた。幕末最後の藩主「永井尚服」は大政奉還直前に若年寄に任じられたが、戊辰戦争では東山道鎮撫総督府軍「岩倉具定」に帰順して新政府軍に与した。

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明治2年(1869年)、版籍奉還により尚服は加納藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で加納藩は廃藩となり加納県となった。明治5年(1872年)、加納県は岐阜県に編入された。廃藩置県後、藩主家である永井氏は子爵に列せられた。

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