ヤクの毛は、戦国の日本に確かにありました。ただし筆の毛としてではなく、兜の飾りとしてです。そしてもうひとつ。筆の世界でいう「羊毛」は、羊ではなく山羊の毛を指します。この二つを押さえると、才蔵が配合に行き詰まり、ヤクと羊で突破したという筋が、史実のどこに触れていてどこから離れるのかが見えてきます。
- 戦国の筆は何の毛でできていたのか
- 「羊毛の筆」の羊が、実は羊ではないこと
- ヤクの毛が戦国の日本にあった証拠
- 十数種類を混ぜる練り混ぜが、いつ始まったのか
- 戦国と現代で、毛の産地が入れ替わっていること
正倉院の筆は、全部が国産の毛だった
いちばん確かな手がかりが、正倉院に残っている筆です。宮内庁の調査報告によれば、中倉に伝わる十七本はすべて芯を紙で巻いた筆で、使われている毛は兎がもっとも多く、ほかに狸、鹿、馬。巻いてある紙も、麻や楮といった国産の繊維でした。
羊もヤクも出てきません。八世紀の日本の筆は、その辺の山で獲れる獣の毛でできていたことになります。
さかのぼれば、空海が嵯峨天皇に筆を献じたときの文書にも、使った毛がはっきり書いてあります。狸です。四本を楷書用、行書用、草書用、写経用と作り分け、作らせた職人の名まで記しています。奈良筆のはじまりとされる話ですが、その原点にあるのも国産の毛でした。
才蔵が最初に試した六種は、妥当だった
鹿、馬、栗鼠、狐、狸、猪。この顔ぶれは、実際の筆づくりから見てもおかしくありません。
- 鹿 弾力が強い。根元が空洞で墨をよく含む。芯や腰の毛に使う
- 馬 腰が強い。とくに尾の毛は大筆の芯に使われる上級品
- 狸 弾力があり毛先が鋭い。細い筆に向く
- 猪 硬い。腰を支える部分に
- 栗鼠 柔らかい。柔毛として
- 狐 いまの筆の原料表にはあまり出てこない
才蔵が職人上がりという設定も、ここで効いてきます。配合を考えられるのは、毛の性質を手で知っている人だけだからです。
剛い毛で腰を立て、柔らかい毛で墨を含ませる。この組み合わせの発想自体は正しいもので、現在は兼毫(けんごう)と呼ばれます。才蔵が配合を変えながら試していたのは、いまの筆づくりでいちばん難しいとされる工程と同じことです。
ヤクは実在した ── ただし兜の飾りとして
ここが面白いところです。ヤクの毛は、戦国の日本に確かに入っていました。
「白熊(はぐま)」と呼ばれ、ヤクの尾の白い毛を指します。使い道は払子、旗竿の先の飾り、采配、そして兜の飾り。徳川家康が愛用した兜飾りは「唐の頭」と呼ばれ、これもヤクの毛でした。元亀三年の一言坂の戦いのあとに詠まれた落首に「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」とあるのは、この飾りのことです。
舶来の品がどう入ってきたかは、戦国の商いの仕組みとも関わります。こうした品を扱えたのは、海の向こうとつながる商人だけでした。
つまり材料としては、確かにそこにありました。末が宝物の髪飾りとして持っていたという設定は、当時の用法とよく合っています。舶来の高価な装飾材だったからです。
「羊毛の筆」の羊は、羊ではない
筆を買うと「羊毛」と書いてあります。やわらかく、墨をたっぷり含む毛です。ところがこれ、山羊の毛です。産地の組合が子ども向けの説明ではっきりそう書いています。中国の長江下流域で飼われている山羊の毛で、一頭から十数種類に選り分けられます。
そして戦国の日本には、羊も山羊もほとんどいませんでした。記録に出てくるのは、百済から二頭、宋の商人が二頭、といった献上品ばかりです。慶長年間に平戸で山羊が売られていた記録もありますが、用途は食べるためでした。
本場の中国でも事情は似ていて、羊毛の筆が広く使われるようになるのは清のはじめ以降とされます。戦国期にあたる明の時代の主流は、兎や鼬の毛でした。
ちなみに大和のような内陸の国に、こうした舶来の品がどれほど届いていたかも考えどころです。堺とは条件が違います。
ただし「羊の毛の舶来品」そのものは、才蔵の時代の堺や奈良にありました。猩々緋(しょうじょうひ)の羅紗です。信長や秀吉が陣羽織に仕立てた、あの赤い布がそれです。毛織物と筆用の毛はまったく別のものですが、羊の毛が海を渡ってきていたこと自体は本当でした。
十数種類を混ぜる技は、まだなかった
配合をめぐって、もうひとつ大きな壁があります。
いまの奈良筆の身上は「練り混ぜ」です。十数種類の毛をむらなく練り合わせる技で、一人前になるのに相当な年月がかかるとされます。ところがこの技法が広まるのは元禄のころから。細井広沢という人が中国の筆を分解して仕組みを解いた、という話が各産地に伝わっています。
戦国期の筆は巻筆です。芯になる毛を紙で巻き固め、その上に薄く衣毛をかぶせる。層になった構造なので、十数種類を均一に練り混ぜるという作り方ではありません。
だから「一気呵成」は、そもそも難しい
巻筆には弱点があります。途中まで紙が巻いてあるので、穂を全部おろせません。動く部分が短いぶん線は安定しますが、墨を蓄えられる量が限られる。だから墨継ぎが頻繁になります。
屏風の端から端まで掠れずに引く、という注文は、この構造に対してかなり無理のある要求です。狩野永徳のような絵師が大画面を扱うには、穂が長く、墨をたっぷり含み、それを支える腰がある筆が要ります。含みと腰は普通ぶつかるものなので、才蔵が行き詰まるのは技術的に筋が通っています。
ついでにいえば、永徳の工房には筆の使い分けを体系化した下地がありました。祖父にあたる狩野元信が、中国の画家の作品をもとに筆づかいを整理し、真・行・草の三つの画体を立てたと伝えられます。狩野派が家として続いた仕組みには、こういう蓄積も含まれていました。
戦国と現代で、産地が入れ替わっている
最後に、逆転の話をひとつ。
いま日本で作られる筆の原毛は、およそ九割が中国からの輸入です。産地の組合は「日本産の毛はほとんど手に入りません」と書いています。羊(山羊)も、上質な馬毛も、海の向こうから来ます。
奈良筆の十四の工程を見ると、毛を選び、脂を抜き、長さを揃え、練り混ぜ、芯を立てる。どの段階でも毛の質が効いてきます。
戦国の筆は逆でした。兎も狸も鹿も馬も、日本の山で獲れるものです。昔の筆は国産の毛でできていて、いまの筆は輸入の毛でできている。ドラマが「舶来のヤクと羊で完成する」と描いたのは、史実というより、むしろ明治以降の筆づくりの姿に近いことになります。
わからないままのこと
正直に書いておきます。調べても分からなかったことが、いくつもあります。
最後の一点が、この話の核心かもしれません。作り手の名が商品に残らない時代だったのです。
よくある質問
結局、才蔵の筆は作れたのですか。
巻筆の構造のまま、ヤクと山羊の毛を混ぜて屏風用の筆を作るというのは、史実としては成り立ちにくい話です。ただし剛い毛と柔らかい毛を組み合わせるという考え方そのものは正しく、それが形になるのが元禄以降ということになります。
ドラマは間違っているのですか。
材料の存在と、職人の考え方は史実に接しています。離れているのは「それを筆に使った」という部分と、練り混ぜという技法の時期です。筆の歴史を踏まえたうえで、二百年ほど先の技を先取りさせた、という作りだと思います。
才蔵は実在したのですか。
史料に名はありません。モデルになりうる人物を探した記事も別にあります。
いまも巻筆は買えますか。
作り続けている工房が滋賀県に一軒あります。芯に支えられているので、命毛が切れるまで使えるという利点が語られています。
まとめ
戦国の筆は、芯を紙で巻いた巻筆でした。毛は兎、狸、鹿、馬といった国産のもの。十数種類を練り混ぜる技は元禄まで待たねばならず、羊毛の筆が本場の中国で広まるのも清のはじめからです。
一方でヤクの毛は、兜の飾りとして確かに戦国の日本にありました。才蔵が売っていたものを考えるうえでも、何が手に入り何が手に入らなかったかは、思いのほか大きな分かれ目になります。
本放送は日曜 午後8時(NHK総合)、日曜 午後6時(NHK BS)、日曜 午後0時15分(BSプレミアム4K)。再放送は翌週土曜 午後1時05分(NHK総合)と、日曜 午後6時(BSプレミアム4K)です。

