『豊臣兄弟!』第38回「和を以て、大和をなす」(10月4日放送)では、間宮祥太朗さん演じる筆屋の才蔵が物語の中心に出てきます。公表されたあらすじでは、ひっ迫する大和の財政を建て直すために秀長が郡山の商いを盛り立てようとし、既得権を守りたい奈良の豪商たちが郡山への移転に抵抗するなかで、才蔵の商売を後押しして各地から商人を呼び込もうとする、という流れです。
では、なぜ奈良の豪商は抵抗したのでしょうか。そして才蔵のような商人は、なぜ奈良を出て郡山へ移ったのでしょうか。この記事では、奈良の商人が握っていた「座」の特権と、秀長が出した「奈良での商売禁止」の命令から、この対立の中身を見ていきます。才蔵が実在したのか、奈良筆とはどんなものかは 才蔵とは で解説しています。
- 奈良の商人の多くは、興福寺や春日社を後ろ盾にした「座」に属し、商いの独占を認められていました
- 秀長は奈良での商売を禁じ、郡山の城下でだけ商いを許す命令を出したと伝えられています
- 豪商にとっては寺の後ろ盾と独占を失う話で、才蔵のような商人にとっては新しい町で店を構える好機でした
奈良の豪商は何を守ろうとしていたのか
中世の奈良は、興福寺と春日社の門前町として栄えた町です。酒、味噌、油、塩、筆や墨といった品を扱う商人や職人は、同じ品を扱う者どうしで「座」という組合をつくり、寺社を本所(ほんじょ)と仰いで座役(ざやく)を納めるかわりに、その品を売る独占的な権利を認めてもらっていました。
座に入っていない者は、奈良で同じ品を勝手に売ることができません。豪商と呼ばれるほどの大店は、この仕組みの上で代々商いを続けてきた家で、その特権を支えていたのが興福寺の権威でした。ドラマのあらすじにある「既得権益」とは、この寺社を後ろ盾にした独占のことだと考えると分かりやすいでしょう。寺が大和で持っていた力については 興福寺の別当とは でも扱っています。
秀長の「奈良での商売禁止」とは
秀長は1585年に郡山城に入ると、城下町づくりを急ぎます。郷土史の研究では、秀長は奈良での商売を禁じ、商いをしたい者は郡山で行うよう命じたとされ、味噌や酒、薪、野菜といった暮らしに欠かせない品まで、郡山の城下でしか売れなくなったと伝えられています。1588年ごろまでには、本町・魚塩町・堺町・柳町など十三の町が郡山にできあがりました。
これは寺社の町・奈良から、商いの中心を武家の城下町・郡山へ力ずくで移す命令でした。第37回で秀長は年貢の流れを寺から国主へ切り替えましたが、商いについても同じことをしたわけです。秀長の大和支配の全体像は 秀長は寺社の国・大和をどう治めたのか でまとめています。

なぜ豪商は郡山へ移りたがらなかったのか
命令が出ても、奈良の大店がすぐ郡山へ移ったわけではありません。豪商にとって郡山への移転は、ただの引っ越しではなかったからです。
まず、奈良で積み上げてきた座の特権は郡山では通用しません。郡山は秀長が新しくつくった町で、そこでの権利は秀長が与えるものですから、寺の後ろ盾で守られてきた商いを国主の許しの上に乗り換えることになり、しかもその国主がいつまで大和にいるのかは誰にも分かりませんでした。
次に、奈良には寺社への参詣客という大きな得意先がありましたが、郡山はまだ町ができあがっていない城下町で、客がどれだけ来るかは未知数です。大店ほど失うものが大きく、動きにくかったのは自然なことでした。
なぜ才蔵は奈良の店をたたんだのか
公式の人物紹介では、才蔵は奈良の店をたたんで大和郡山に店を移した筆屋とされています。大店の豪商とは逆に、才蔵のような商人にとって郡山は好機でした。座の特権を持たない、あるいは座の中で下の立場にいた商人にとって奈良は上がつかえた町でしたが、郡山では秀長が町ごとに地子(宅地にかかる税)の免除などの特権を与えて商人を呼び込んでいたので、新しく店を構える者には条件のよい土地だったからです。
筆は奈良が古くから得意とした品で、寺の写経にも、公家や武家の文書にも欠かせません。城下町には奉行や家臣が集まり、帳簿や書状が大量に書かれるようになるので、筆の需要は奈良と同じか、それ以上に見込めました。秀長が才蔵の商売を後押しして商人を呼び込むきっかけにしようとするのは、筆屋という商いの性格から見ても理にかなっています。
楽市楽座とはどこが違うのか
信長が安土などで出した楽市令は、座の独占をなくして誰でも商いができるようにし、城下に人を集める政策でした。秀長の郡山も城下に商人を集めるという目的は同じですが、奈良での商売を禁じて郡山に一本化した点で、手法はむしろ正反対です。
郡山の町には、その後、町ごとに交代で町の務めを担う箱本(はこもと)の仕組みができていきます。特権と引きかえに町の警備や火消し、伝馬などを受け持つ仕組みで、詳しくは 箱本十三町とは で解説しています。
第38回の見どころ
あらすじの範囲で言えば、第38回は、才蔵という一軒の筆屋の成功が、奈良の豪商たちの抵抗をどう崩していくかが軸になりそうです。寺の後ろ盾で守られてきた商いと、国主が与える特権で始まる商い。第37回が年貢をめぐる寺と国主の対立だったとすれば、第38回は同じ対立の商い版と見ることができます。
才蔵がこのあとどうなっていくのか、郡山の商人たちがたどったその後は 才蔵のその後はどうなる? でまとめています。
よくある質問
Q. 才蔵は実在の人物ですか?
A. 同時代の史料で名前を確認できる人物ではなく、ドラマのために置かれた人物と考えられます。ただし、奈良から郡山へ移った商人がいたことは史実です。
Q. 奈良の豪商とは誰のことですか?
A. ドラマの豪商に特定のモデルは示されていません。史実の奈良では、興福寺や春日社を本所とする座に属した商人が、酒や油、塩などの商いを握っていました。
Q. 秀長の「奈良での商売禁止」は本当ですか?
A. 郷土史の研究で紹介されている話で、奈良での商いを禁じて郡山に集めたとされています。命令の細かな文面や、どこまで徹底されたのかについては、史料の読み方に幅があります。
まとめ
- 奈良の豪商の力は、興福寺や春日社を本所とする座の独占に支えられていました
- 秀長は奈良での商売を禁じて郡山に集め、商いの中心を寺社の町から武家の城下町へ移しました
- 特権を失う豪商は抵抗し、才蔵のような商人は新しい町で店を構える好機をつかもうとしました
才蔵と豪商の対立は、筆屋一軒の成功物語であると同時に、大和の商いの主が寺から国主へ替わる瞬間でもあります。第37回の年貢とあわせて見ると、秀長が大和で何を変えようとしたのかがよく見えてきます。

