■ 日本の歴史ブログ
織田信長が好んで謡った敦盛の一節その内容とは?
「信長公記」より信長が好んで謡い・舞ったと言われている「人間五十年~」という行(くだり)をご紹介。
信長が好んだと言われている「敦盛」は聞いたことがあるが内容までは・・という方も多いのではないでしょうか。
◎ 信長公記より
此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。
◎ その意味は
人間がどのような一生を送ろうと、それはほんの五十年くらいの短い間に過ぎない、一度この世に生まれて死なずにすむ者のいるはずもない。
と概ねこのような内容となります。
この詩を耳にした方は多いかと思いますが、その内容までは、という方も多いのではないでしょうか。
出典:信長公記より
※写真は清州古城跡にある織田信長像
「人間五十年」は、寿命の話ではない
よく誤解されるのが、この一節を「人の寿命はせいぜい五十年」という意味に取る読み方です。原文は「人間五十年、下天のうちをくらぶれば」と続きます。下天とは仏教でいう天界の一つで、そこでの一日は人間の五十年にあたるとされました。つまり「天上の時間と比べれば、人の一生など一日にすぎない」という意味です。寿命の長さではなく、時間の尺度の違いを言っています。
なぜ信長はこれを舞ったのか
『信長公記』では、桶狭間へ出陣する直前にこの舞が置かれています。敦盛は、一ノ谷で討たれた平敦盛を題材にした幸若舞です。若くして討たれる者の話を、まさに大軍へ向かう朝に舞ったことになります。舞い終えると法螺を吹かせ、具足をつけ、立ったまま食事をとって出ていった、と記録は続きます。覚悟を決める所作として読むのが自然でしょう。桶狭間の戦いの背景は今川義元の上洛説の記事で書いています。
幸若舞という芸能
敦盛は能ではなく、幸若舞(こうわかまい)という語り物の芸能です。戦国の武将たちに好まれ、陣中でもよく演じられました。信長が特別に変わったものを好んだわけではなく、当時の武士の教養のなかにあった演目だったわけです。
ゆかりの場所
この舞が演じられたのは、出陣前の清洲城です。信長はここから熱田へ向かい、熱田神宮で戦勝を祈って桶狭間へ進みました。前哨戦の舞台となった鷲津砦や鳴海城も、あわせてたどれます。
【清州城地図】

