宍戸城:秋田実季の転封により水戸藩の支藩1万石として立藩した宍戸藩の居城 宍戸城【お城特集 日本の歴史】

宍戸城/アクセス・場所・地図 秋田実季の転封により水戸藩の支藩1万石として立藩した宍戸藩の居城 宍戸城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
宍戸城

【宍戸城の説明】
宍戸城は茨城県笠間市平町にあった平城である。
建仁3年(1203年)、鎌倉時代初めに常陸国守護の「八田知家」四男「家政」が築城し宍戸氏を名乗ったとされている。

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戦国時代に入ると太田城の佐竹氏との戦に破れ、以降佐竹氏の支配下に入る。宍戸氏は佐竹氏の麾下に組み込まれてもそのまま宍戸城を治めていた。関ヶ原の戦い後「佐竹義宜」が秋田へ移封になると宍戸氏もこれに従った。

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宍戸城は秋田から国替えとなった「秋田実季」が5万石にて入封したが、二代藩主「秋田俊季」が正保2年(1645年)陸奥国「三春藩」に転封となり、水戸藩領となる。

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水戸藩では藩主「水戸光圀」の弟「松平頼雄」に1万石を分与して新たに宍戸藩を立藩させた。以降、幕末に至るまで水戸藩の支藩として存続した。現在、宍戸城の遺構はほとんど残っていない。なお、余談だが幕末の宍戸藩主「松平頼徳」は天狗党の鎮圧を命じられたがこれに失敗し、幕命により切腹を申し渡され腹を切った。






【宍戸城・場所・アクセス】
〒309-1722 茨城県笠間市平町182

【宍戸城地図】



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