新宮城:紀州藩主徳川頼宜の付家老として入封した水野重央の居城 新宮城【お城特集 日本の歴史】

新宮城/アクセス・場所・地図 紀州藩主徳川頼宜の付家老として入封した水野重央の居城 新宮城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
新宮城

【新宮城の説明】
新宮城は和歌山県新宮市にあった平山城である。
城は現在の位置に「浅野忠吉」が築城した新宮城と、戦国大名としてこの地を支配した「堀内氏善」が居城としていた堀内新宮城(堀内屋敷)がある。

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現在の新宮城跡は紀州を拝領した「浅野長政」の重臣、「浅野忠吉」が築城したもので堀内新宮城とは別の地に築城し、いくつかの寺院を移して建造された。城の築城は慶長7年(1602年)に開始された。

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江戸時代に入り「一国一城令」により一度は廃城とされるが、元和4年(1618年)再び築城が認められると「浅野忠吉」は再築を開始した。ところが、浅野氏は元和5年(1619年)城の完成を前に、広島藩へ移封が決まりその後紀州和歌山藩には徳川御三家となる紀州徳川家(徳川頼宣)が入封する。

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その頼宜の付家老として任命されたのが「水野重仲(重央)」であり、その後江戸期を通じて代々水野氏が統治する城となる。水野氏は浅野氏の築城を継承し堀や石塁を増築しながら寛文7年(1667年)に近世城郭が完成した。

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幕末の明治維新後は新宮県として存続していたが和歌山県との合併及び、明治6年の廃城令により新宮城は廃城となる。現在は本丸石垣跡や出丸跡、冠木門などの遺構が残されている。

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【新宮城・場所・アクセス】
〒647-0081 和歌山県新宮市新宮7691−1

【新宮城地図】



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