岩殿山城:織田・徳川連合軍の武田勝頼攻めに際し主君を裏切った小山田信茂の居城 岩殿山城【お城特集 日本の歴史】

岩殿山城:織田・徳川連合軍の武田勝頼攻めに際し主君を裏切った小山田信茂の居城 岩殿山城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
岩殿山城

【岩殿山城の説明】
岩殿山城は山梨県大月市にあった岩殿山に建てられた山城である。
甲斐都留郡の国人衆小山田氏の本拠地とされ戦国時代屈指の堅城としても知られていた。

武田信玄が甲斐の守護大名になるとこれに従い、各地の戦で戦功を重ねた。
この時、小山田家の当主は「信茂」が務めており信玄とは従兄弟の関係にあったとされる。

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居城の立地上、関東の北条や駿河の今川攻めに多く参加し北条氏の韮山城攻めでは武田勝頼とともに城を包囲している。
武田信玄が西上中に死去するとその後は勝頼を良く補佐し、武田家重臣として重きをなした。

織田信長・徳川家康との間で勃発した「長篠の戦」では織田・徳川の鉄砲攻撃にも果敢に戦ったようである。
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍が武田領に侵攻しすると武田家重臣は次々と降伏・開城し勝頼は新たに築城した新府城を退去する。

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この時、小山田信茂の岩殿山城を頼りに逃れていたが途中で信茂は武田家を離反し織田信長についてしまう。
これにより勝頼は天目山のふもとにて最後までついてきた兵士50名が必至の抵抗をしているさなか長子「信勝」とともに自刃して果てた。

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一方信長の軍門に降った信茂は武田家への不忠と咎められ甲斐善光寺にて斬首され、小山田一族は滅亡する。
岩殿山城跡は近年良く整備され、その遺構を見ることができる。

【岩殿山城・場所・アクセス】
山梨県大月市賑岡町強瀬字西山53






【岩殿山城地図】



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