東海– category –
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田中城:徳川家康が関東へ移封後は駿府城主中村一忠の管轄となった 田中城
【城名】 田中城 【田中城の説明】 田中城は静岡県藤枝市西益津にあった平城である。 築城時期は天文6年(1537年)、今川氏により築かれた。永禄13年(1570年)武田勝頼が駿河国へ侵攻し田中城は開城した。以降、三河・遠江の徳川家への備えの城として重要... -
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韮山城:豊臣秀吉の北条征伐に果敢な籠城戦を展開した北条氏規の居城 韮山城
【城名】 韮山城 【韮山城の説明】 韮山城は静岡県伊豆の国市韮山にあった室町時代後期から戦国時代にかけての平山城である。 築城時期ははっきりしていないが文明年間(1469年~1486年)に堀越公方「足利政知」の家臣「外山豊前守」が城を築いたのが始ま... -
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浜松城:曳馬から名を変えた家康の城と、いまの天守より大きい天守台
【城名】 浜松城 【浜松城の説明】 浜松城は静岡県浜松市にあった平山城です。 元々は今川義元の家臣「飯尾氏」が城主をつとめており、この時は「曳馬城」と呼ばれていました。 今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると跡を継いだ「今川氏真」に仕えるが思... -
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大河内城跡(松阪市):五十日の籠城と、養子縁組で終わった北畠氏
大河内城(おおかわちじょう)は、伊勢の国司・北畠氏の城です。織田信長の伊勢攻めにあたり、北畠具教・具房の父子がここに籠もり、五十日ほど持ちこたえました。決着は力攻めではなく、信長の次男を養子に迎えるという形の講和です。家を残したように見... -
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小牧山城跡:仮の城ではなかった ― 発掘で現れた石垣と直線の大手道
小牧山城(こまきやまじょう)は、織田信長が清洲から本拠を移して築いた城です。美濃攻めのための一時的な城と長く見られてきましたが、発掘調査によって、山上に石垣が築かれ、まっすぐな大手道が通され、麓に碁盤目の城下町が整えられていたことがわか... -
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野田城:今川家や武田信玄に攻められ2度の降伏をした菅沼定盈の野田城
【城名】 野田城 【城の説明】 野田城は愛知県新城市にあり戦国時代初期に菅沼氏によって築かれた。 本丸、二の丸、三の丸があり、天然の要害として知られていた。 もともと今川氏に従っていた「菅沼定盈」は桶狭間の戦い後に離反するが、同時に今川軍に攻... -
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駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
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加納城跡(岐阜市):岐阜城を壊して築かれた平城と、天守が建たなかった天守台
加納城(かのうじょう)は、関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康の命で築かれた美濃の平城です。山上の岐阜城が廃され、その資材が運び下ろされて使われました。最初に城主となったのは家康の娘婿・奥平信昌です。本丸には天守台が築かれながら、天守は建てられ... -
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名古屋城:豊臣を囲うために豊臣恩顧の大名が積んだ城と、焼け残った三つの隅櫓
名古屋城は、徳川家康が大坂の豊臣家を囲いこむために築かせた城です。工事は天下普請で、加藤清正や福島正則といった、もとは豊臣に仕えた西国の大名たちが自腹で石を運びました。豊臣を抑えるための城を、豊臣恩顧の大名が築く。この構図そのものが、当... -
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岐阜城(稲葉山城):信長が天下布武を掲げた城と、山麓の居館跡・山頂の巨石の石垣
【城名】 岐阜城(旧名:稲葉山城) 【城の説明】 岐阜城は岐阜県岐阜市の金華山にあった山城です。現在の金華山は旧名では美濃国井之口稲葉山と呼称されていました。織田信長が、斎藤龍興(斎藤道三の孫)から奪取した稲葉山城の縄張りを改修して、新たに... -
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岐阜城:本能寺の変にて織田信長・信忠親子が斃れ城主がめまぐるしく変わる岐阜城 中編
【城名】 岐阜城(稲葉山城) 【城の説明】 信長は美濃を拠点に北近江の浅井家、越前の朝倉家などと攻防を重ね、長い年月をかけて近江・越前・近畿、さらには本願寺を降伏させて摂津の国などを支配下においた。その上で各方面へ担当の軍事司令官を配置し、... -
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岐阜城はなぜ廃城になったのか:関ヶ原の前哨戦で落ちた信長の孫と、加納城へ移された資材
岐阜城は難攻不落の城と呼ばれてきました。ところが実際には、何度も落ちています。斎藤道三の子孫が守っていたときに織田信長に落とされ、信長の孫が守っていたときには関ヶ原の前哨戦でわずか一日ほどで落ちました。そして戦いのあと、徳川家康はこの城... -
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阿坂城跡(白米城・松阪市):全国にある白米の伝説と、山城を落とす水の話
阿坂城(あざかじょう)は、松阪市の西にそびえる桝形山の上にあった山城です。南北朝のころ、伊勢に入った北畠親房が築いた城のひとつと伝えられます。南の曲輪は白米城、北の曲輪は椎之木城と呼ばれました。織田信長の伊勢攻めでは木下藤吉郎が攻め、落... -
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鳥羽城:九鬼嘉隆が志摩の国を統一し築城した戦国屈指の海城 鳥羽城
【城名】 鳥羽城 【城の説明】 鳥羽城は、現在の三重県鳥羽市鳥羽にあった海城である。水軍に特化した城で、大手門が海側へ突出して築かれたため「鳥羽の浮城」とも呼ばれていた。 元々鳥羽湾に突出した部分には中世、橘氏の居館があった。戦国時代の志摩... -
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津城:伊勢国司北畠家一族長野氏(細野藤光)の居城 津城(安濃津城)
【城名】 津城(安濃津城) 【城の説明】 津城は三重県津市にあった由緒ある城である。 北畠家が城主だった頃は「安濃津城(あのつじょう)」と呼ばれていた。 城は津市街の中心部に位置しており、北は安濃川、南は岩田川に挟まれこれらを天然の外堀として... -
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蟹江城跡:小牧・長久手を決めたのは長久手ではない ― 海から奪われ、半月で取り返された城
この記事のポイント 蟹江城は伊勢湾に近い平城で、海から尾張へ入る喉元にあたる 小牧・長久手の戦いの最中、秀吉方の滝川一益が海から奪い取った 家康と織田信雄に囲まれ、一益は半月ほどで開城して降伏した 長久手の局地戦より、この蟹江の攻防のほうが... -
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伊賀上野城:豊臣家の抑えとして配された藤堂高虎により築城された伊賀上野城
【城名】 伊賀上野城 【城の説明】 伊賀上野城は、三重県伊賀市上野丸之内にあった平山城です。西の丸の丘陵には伊賀国守護の仁木氏の館(伊賀の守護所)がありました。上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184メートルほどの丘に建てられた... -
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岩村城跡(恵那市):日本一標高の高い山城と、女城主・森蘭丸・佐藤一斎の八百年
岐阜県恵那市に岩村城跡がある。日本100名城38番、そして日本三大山城のひとつ。 本丸の標高は約717メートル。全国の城のなかで、いちばん高いところにある城である。 ただ、この城が語るべきものは高さだけではない。八百年の歴史、女城主、そして幕末最... -
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荒子城跡(名古屋市中川区):前田利家が生まれた小さな平城と、兄に代わって城主になった理由
荒子城(あらこじょう)は、前田利家が生まれ育った城です。尾張の西のはずれ、庄内川と新川にはさまれた低い土地にあり、柵と濠をめぐらせただけの小さな平城でした。利家は本来この城を継ぐ立場にありませんでしたが、織田信長の命によって兄に代わり城... -
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那古野城跡:五歳の吉法師が城主になった館と、名古屋城のどこにあったのか
那古野城(なごやじょう)は、織田信長がはじめて城主となった城です。もとは今川氏の一族が構えた館で、これを信長の父・信秀が奪い、やがて幼い嫡男へ譲りました。天守も高石垣も持たない方形の館で、周囲を堀と土塁でかこんだ武家屋敷に近い姿だったと...
