【説明】

※写真は小谷城麓に建立された浅井長政と妻のお市像
河毛駅前に立つ、浅井長政とお市の像
JR北陸本線の河毛(かわけ)駅を降りると、駅前に浅井長政とお市の像が並んで立っています。背後にそびえるのが、二人が暮らした小谷城の山です。像は馬に乗る長政と、その傍らに立つお市という姿で、小谷の城下を見つめるように据えられています。城跡を歩く人の多くが、この駅から登り口へ向かいます。
浅井長政とお市が結ばれた理由
浅井氏は、北近江の小谷城を本拠にした戦国大名です。長政は三代目にあたります。織田信長は美濃を平定したあと、京へ上る道を確保するため、北近江の浅井氏と手を結びました。その証として、妹のお市を長政に嫁がせます。二人のあいだには茶々・初・江の三姉妹が生まれました。お市の生涯はお市の方とはでくわしく書いています。
同盟はなぜ破れたのか
浅井氏には、古くからの盟友である越前の朝倉氏がいました。信長が朝倉を攻めたとき、長政は信長との縁と旧来の盟約のどちらを取るかを迫られ、朝倉の側に立ちます。信長は越前から命からがら退き(金ヶ崎の退き口)、その後の姉川の戦いで浅井・朝倉軍と正面からぶつかりました。三年あまりの戦いの末、天正元年に小谷城は落ち、長政は自害します。このとき、お市と三人の娘は城を出ました。
落城のあと、小谷の地は羽柴秀吉に与えられ、秀吉は城を山から下ろして琵琶湖のほとりに長浜城を築きます。小谷城がどんな城だったかは小谷城跡で書いています。
お市と三姉妹のその後
お市は、信長が本能寺で倒れたあと柴田勝家に再嫁し、越前の北ノ庄城へ移りました。しかし賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れると、お市は勝家とともに北ノ庄城で最期を迎えます。二人の墓と伝わるのが福井市の西光寺です。娘たちは城を出て生き延び、長女の茶々はのちに秀吉の側室となりました。その経緯は茶々(淀殿)で、秀吉とお市の関係をめぐる話は秀吉はお市の方が好きだったのかでまとめています。
像を訪ねるなら
河毛駅は無人駅ですが、駅舎にコミュニティハウスがあり、小谷城跡へ向かう人のためのレンタサイクルが置かれています。像は駅前広場にあるので、電車を降りてすぐ見られます。城跡の登り口までは歩くと距離があるため、自転車か車で向かうのが現実的です。
【浅井長政・お市像・場所・アクセス】
〒529-0317 滋賀県長浜市湖北町山脇545
【浅井長政 お市像地図】

