身延山久遠寺(身延町):五十二キロ四方を寄進した武士と、奥州へ渡った南部氏

山梨県南巨摩郡身延町に身延山久遠寺がある。日蓮宗の総本山である。

寺として名高い場所だが、この記事は武士の側から書きたい。

というのも、この寺を成り立たせたのは南部実長(なんぶ さねなが)という甲斐の武士だからである。そしてその一族が、のちに奥州で城を並べることになる。

身延山久遠寺の三門

身延山の三門。扁額に「身延山」とある

【日蓮を招いた甲斐の武士】

境内に南部實長公銅像が立っている。その脇の案内板(身延山開基大檀越)に、この寺の始まりが刻まれている。

「日蓮聖人は文永十一年(1274)5月17日、檀主南部実長(波木井)公のお招きにより、この身延のお山にお入りになられました。」

日蓮が身延に入ったのは、招かれたからである。そして招いたのが南部実長だった。

実長は波木井(はきい)とも呼ばれる。甲斐国南部郷を本拠とした武士である。

身延山久遠寺の南部實長公銅像

南部實長公銅像(山崎朝雲 作)。案内板に開基の経緯が記されている

【今生と後生を、取り替えた】

案内板には、実長が交わしたという約束が引かれている。この一文が、この記事でいちばん重い。

「今生は実長に及ばん程は見つぎ奉るべし、後生をば聖人助け給へ」

意味を開くとこうなる。この世では、私の力の及ぶかぎり面倒を見ましょう。あの世では、あなたが私を助けてください。

武士が現世を引き受け、僧が来世を引き受ける。役割の分担が、これ以上ないほど明快に言い切られている。

そして案内板は「日蓮聖人ご在山の9年間一家をあげてご給仕されました」と続ける。

九年間、一家をあげて。口約束で終わらせていない。

【五十二キロ四方を、寄進した】

実長がしたことは、それだけではない。

案内板にこうある。「公は『十三里四方の境を立て今、日蓮聖人に之を寄附す』との誓文をして、身延山を中心とした十三里四方を日蓮聖人にご寄附され」

十三里四方。案内板の英文には「about 52km × 52km square around Mt. Minobu」とある。

およそ五十二キロ四方。一人の武士が、一人の僧に寄進した土地の広さである。

戦国期の大名の領国と比べても、決して小さくない。この一族が甲斐でどれほどの力を持っていたかが、この数字からわかる。

【子々孫々に、この山を護れ】

そして実長は、遺言を残す。

案内板の結びはこうである。「子々孫々に亘り身延山を護ることを戒められ、永仁五年(1297)9月25日、76歳でお亡くなりになりました。」

子孫に、この山を護れと命じて死んだ。享年七十六。

ここで、ひとつの問いが立つ。

その子孫は、遺言を守れたのか。

久遠寺の杉並木の参道

三門から菩提梯へ続く杉並木。突き当たりに石段が見える

【南部氏は、奥州へ移った】

ここからが、お城サイトとして書きたい部分である。

南部氏は、甲斐国南部郷を名字の地とする一族である。そして鎌倉期以降、この一族は奥州へ移っていく。

そして戦国期、南部氏は陸奥北部を押さえる大勢力になっていた。当サイトにある城を並べると、その広がりがわかる。

  • 三戸城(青森県三戸町)… 南部信直が盛岡城へ移るまでの本城
  • 九戸城(岩手県二戸市)… 九戸政実の乱の舞台
  • 一戸城(岩手県一戸町)… 一族・一戸政連の居城
  • 七戸城(青森県七戸町)… 九戸政実の乱で滅びた七戸家国の居城
  • 高水寺城(岩手県紫波町)… 南部信直が斯波氏を攻略して支配下に置いた城

三戸、九戸、一戸、七戸。数字を冠した地名が並ぶのは、この一族が 領地 を分けて配置した名残である。

身延山に日蓮を招いた男の子孫が、四百年後に奥州で城を並べていた。

山梨の寺と、青森・岩手の城。地図の上では遠く離れた場所が、ひとつの家系でつながっている。

【菩提梯 — 二百八十七段の石段】

寺の話に戻りたい。

三門をくぐって杉並木を進むと、正面にとてつもない石段が現れる。菩提梯(ぼだいてい)である。

「梯」は、はしごの意味。階段というより、はしごに近いという命名だ。

実際に立つと、その意味がわかる。まっすぐ、ほとんど垂直に見えるほどの傾斜で、本堂まで一直線に上がっていく。

久遠寺の菩提梯

菩提梯。杉木立の間を、石段がまっすぐ上へ伸びる

参道脇の「御案内」の看板が、この階段の性格を正直に伝えている。

「御年配の方、心臓の弱い方、体調の勝れぬ方は右手の女坂か男坂を御利用下さい。この菩提梯は非常に急階段となっておりますので御注意願います。」

心臓の弱い方は、と名指しで書かれている石段である。

久遠寺の御案内の看板

「御案内」の看板。女坂・男坂という迂回路が案内されている

登り切ってから振り返ると、傾斜の実感がさらに増す。下りのほうが怖い、という声が多いのも納得できる。

菩提梯を上から見下ろす

菩提梯を上から。谷底まで一気に落ちていく

【本堂と五重塔】

石段を登り切ると、視界が一気に開ける。

正面に立つのが本堂である。黒い柱に、金の装飾。「祈 東日本大震災 被災地早期復興 犠牲者追善菩提」の幟が下がっていた。

身延山久遠寺の本堂

久遠寺の本堂。左右に「共に生き 共に栄える 共栄運動」の幟

そして境内の一角に、朱塗りの五重塔が立つ。杉の緑のなかで、この朱色がよく目立つ。

久遠寺の五重塔と鐘楼

鐘楼と五重塔。手前は回廊の屋根

回廊の軒下の彫刻も見ておきたい。牡丹や菊が極彩色で彫り込まれ、獅子が睨みをきかせている。

久遠寺の回廊の彫刻

回廊の軒下。牡丹・菊の彫刻と、隅の獅子

【久遠寺の現地写真】

五重塔へ続く石段

五重塔へ上がる石段。苔むした段が続く

久遠寺の苔むした石垣

参道脇の石垣。びっしりと苔に覆われている

久遠寺の参道の石畳

杉並木のなかの石畳。三門から菩提梯へ向かう道

菩提梯を振り返る

登り口から見上げた菩提梯。人の大きさで傾斜がわかる

身延山の門前町

門前町。宿坊や土産物店が並び、突き当たりが三門

身延山久遠寺の御朱印

久遠寺の御朱印。「妙法」の文字と「宗祖棲神之霊場」の印

【訪ねるときに】

菩提梯は無理をしないほうがいい。看板が名指しで注意しているとおりである。

迂回路として女坂と男坂があり、さらに斜行エレベーターも整備されている。登れなくても本堂には行ける。

奥之院へは身延山ロープウェイが通じている。晴れていれば富士山や南アルプスが見える。

そして門前町も歩きたい。宿坊や土産物店が並び、参詣の町として続いてきた姿が残っている。

※拝観時間や料金、ロープウェイの運行は変更されることがあります。訪問前に身延山久遠寺の公式サイトでご確認ください。

【身延山久遠寺・場所・アクセス】

〒409-2593 山梨県南巨摩郡身延町身延3567
JR身延線「身延駅」からバス約12分「身延山」下車、徒歩約15分/中部横断自動車道「増穂IC」から車で約50分。
門前や境内下に駐車場があります。

【南部氏ゆかりの城】

  • 三戸城(青森県三戸町)… 南部信直が盛岡城へ移るまでの本城
  • 九戸城(岩手県二戸市)… 九戸政実の乱の舞台
  • 一戸城(岩手県一戸町)… 九戸政実の乱で激しい籠城戦
  • 七戸城(青森県七戸町)… 七戸家国の居城
  • 高水寺城(岩手県紫波町)… 南部信直が斯波氏を攻略した城
  • 新府城(山梨県韮崎市)… 同じ甲斐国。武田勝頼が自ら焼いた城

身延山を寄進した男の子孫がどこへ行ったかは、三戸城九戸城の記事で辿れます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次