豊臣兄弟!第33回「北庄城の別れ」史実解説|お市はなぜ二度目の落城で城に残ったのか

北ノ庄城址の三姉妹像(茶々・初・江)
この記事のポイント

  • 天正十一年(1583)四月二十四日、柴田勝家とお市の方は北ノ庄城で自害した
  • お市は三人の娘を城から出し、自分だけが残った。一度目の落城では生きた人である
  • 勝家は「修理の腹の切り様を見て後学にせよ」と言い残したと伝わる
  • 二人の辞世は、そろって「夏の夜」と「ほととぎす」を詠んでいる
▽ よく語られる話
お市の方は夫・勝家に殉じて城に残った。
▼ 史実ではこうです
お市は三人の娘を城から出しています。つまり「出られなかった」のではなく「出なかった」。しかも十年前の小谷城では、自分も娘たちとともに城を出ているのです。一度目は出て、二度目は残った。その理由は史料からは断定できません。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第33回「北庄城の別れ」。賤ヶ岳に敗れた柴田勝家が越前へ退き、お市の方とともに最期を迎える回である。

この城で起きたことは、記録が比較的よく残っている。そして、いまも現地に行ける。史実の側から補助線を引いておきたい。

北の庄城址に立つ「お市の方 勝家公 慰霊碑」

目次

この回で実際に起きたこと

  • 四月二十一日… 賤ヶ岳で柴田軍が崩壊。勝家は越前へ退却
  • 四月二十三日ごろ… 秀吉軍が北ノ庄城を包囲
  • 四月二十四日… 勝家、お市とともに自害。享年六十二
  • この前後… 茶々・初・江の三姉妹は城から出される
  • 五月十二日… 捕らえられた佐久間盛政が斬首される

賤ヶ岳の敗戦から三日である。逃げる時間も、立て直す時間もなかった。

補助線①:お市はなぜ、二度目は残ったのか

ここがこの回のいちばん重い問いだと思う。

お市は一度、落城を経験している。天正元年(1573)の小谷城。夫・浅井長政は自害したが、お市は三人の娘とともに城を出た。

そして十年後、二度目の落城では城に残った。

理由は史料からは断定できない。だが事実として、一度目は出て、二度目は出なかった。娘たちだけを送り出しているのだから、「出られなかった」のではなく「出なかった」のである。

この差をどう読むかは、見る人に委ねられている。ドラマがどう描くかを見る前に、この事実だけは押さえておくと、あの場面の重さが変わる。

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お市の方と浅井三姉妹:二度の落城を生きた信長の妹 北ノ庄で娘たちを送り出した

小谷と北ノ庄、二度の落城をお市の側からたどっています。

補助線②:勝家が残した言葉

自害にあたって、勝家はこう言ったと伝わる。

修理の腹の切り様を見て後学にせよ

修理とは勝家の官途「修理亮」。「自分の腹の切り方をよく見て、後の手本にせよ」という意味になる。十字に腹を切ったとも伝わる。

そして辞世の句。

夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲居にあげよ 山ほととぎす

お市の辞世が、これに応じている。

さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな

夫婦そろって「夏の夜」と「ほととぎす」を詠んでいる。結婚生活は一年に満たなかったが、最後の一首だけは互いに響き合っている。

補助線③:この日、柴田家は事実上終わった

勝家には実子がいなかった。家をつないでいたのは養子たちである。

そしてその養子・甥たちは、この前後の二年で全員が失われた。津田信澄は本能寺の直後に討たれ、柴田勝政は賤ヶ岳で戦死し、長浜城主の柴田勝豊は降伏後に病死し、佐久間盛政は斬首される。

北ノ庄の一日は、家が絶える過程の最終場面だった。

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柴田勝家の一族:生年も父母もわからない男が、養子たちとともに絶えるまで

なぜ養子ばかりだったのか。そして二年で全員が消えた経緯を追っています。

補助線④:三姉妹は、この日から始まった

城を出た三人のその後は、あまりに対照的である。

茶々は秀吉の側室となり豊臣秀頼を産む。は徳川秀忠に嫁ぎ、三代将軍家光の母となる。は京極高次に嫁ぎ、のちに大坂の陣で豊臣と徳川のあいだを取り持とうとする。

豊臣と徳川、両方に血をつないだのはお市の娘たちだった。柴田の家は絶え、お市自身も死に、それでも娘たちは残った。

北の庄城址に立つ三姉妹の像。茶々・初・江。この城を出たあと、三人の道は大きく分かれた

現地はいま:城跡は神社になっている

北ノ庄城の本丸跡には、いま柴田神社が建っている。勝家その人を主祭神とし、お市の方もあわせて祀る神社である。

境内には勝家公の像、三姉妹の像、そして発掘された北ノ庄城の石垣が保存展示されている。JR福井駅から徒歩十分ほど。この回を見たあとに訪ねる場所として、これ以上はない。

  • 北ノ庄城(福井県福井市)… この回の舞台
  • 柴田神社(北の庄城址)… 御朱印・御城印とアクセス
  • 玄蕃尾城(福井県敦賀市・滋賀県長浜市)… 勝家が賤ヶ岳で本陣を置いた陣城。土塁が良好に残る
  • 小谷城(滋賀県長浜市)… お市の一度目の落城
  • 長浜城(滋賀県長浜市)… 勝豊が降った城

次回以降に効いてくること

勝家が消えたことで、織田家の重臣で秀吉に対抗できる者はいなくなった。翌年には小牧・長久手で徳川家康と対峙し、その翌年には関白となる。

弟・秀長も動き出す。紀州征伐を経て、やがて大和郡山の百万石へ至る。

よくある疑問

Q. 北ノ庄城はどんな城だったのですか?
A. 宣教師ルイス・フロイスが「安土城に次ぐ壮麗さ」と伝えたともいわれ、九層の天守があったとする説もあります。ただし記録が乏しく、実像ははっきりしません。現在は発掘された石垣で規模をしのぶことができます。

Q. 三姉妹はどうやって城を出たのですか?
A. 秀吉方に引き渡された形と伝わります。落城前に城から出され、以後は秀吉の保護下に入りました。

Q. 勝家の墓はどこにありますか?
A. 福井市の西光寺に柴田勝家・お市の方の墓所があります。柴田神社とあわせて訪ねる人が多い場所です。

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イラストで見る武将・姫たち

この記事に登場する人物は、姉妹サイト「日本の武将ガイド」でイラストとあわせてご覧いただけます。

  • 柴田勝家 … 「瓶割り柴田」と恐れられた織田家筆頭家老
  • お市の方 … 戦国一の美女と称された信長の妹
  • 豊臣秀吉 … 北ノ庄城を囲んだ天下人
  • 佐久間盛政 … 「鬼玄蕃」と恐れられた勝家の甥
  • 柴田勝豊 … 開戦前に秀吉へ降った勝家の養子
  • 浅井長政 … お市の最初の夫。小谷城で自害した

まとめ

北ノ庄の一日は、負けた側の記録がよく残っている珍しい場面である。腹の切り方も、辞世も、娘たちを出したことも伝わっている。

そして四百年後、その場所は勝家を神として祀る神社になった。中央では敗者でも、越前ではこの人は領主だった。

負けた城が、いちばん丁寧に記憶されている。賤ヶ岳という戦いの、いちばん静かな結末である。

◀ 前の回:第32回「賤ヶ岳の決闘」史実解説

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