日本の歴史– tag –
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歴史ブログ
伊達政宗はなぜ仙台城に天守を建てなかったのか:六十二万石が選んだ「見せない権威」
この記事のポイント 仙台城には天守がない。焼けたのではなく、最初から建てられなかった 理由は「徳川への配慮」だけではない。断崖の地形と大広間という別の権威の見せ方が揃っていた 天守を持たない・再建しない城は各地にある。水戸城、相馬中村城、金... -
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石川数正の次男「康勝」が花と散った壮絶な最後とは?
■ 日本の歴史ブログ 石川数正の次男「康勝」がたどった壮絶な戦い大阪夏の陣 石川康勝(いしかわ やすかつ)は、徳川家康の片腕とも言われた「石川数正」の次男として生まれる。天正12年(1584年)、徳川家康の次男「秀康」が豊臣家の人質として大坂に向か... -
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徳川家康から豊臣秀吉へ寝返った石川数正の最後とは?
■ 日本の歴史ブログ 徳川家康から豊臣秀吉へ寝返った石川数正の最後とは? 石川数正といえば、徳川家康が松平元康と名乗っていた頃から側近くに仕えた重臣中の重臣である。特に酒井忠次と並んで西三河と東三河を統治する重要な役目を担っていました。 そん... -
歴史ブログ
忍城を籠城死守した成田長親(のぼうの城 主人公)の末路とは?
■ 日本の歴史ブログ 忍城を籠城死守した成田長親(のぼうの城 主人公)の末路とは? いよいよ豊臣秀吉が関東の北条氏政・氏照攻め(小田原征伐)を開始した時、武蔵の国忍城の成田氏は当主の氏長が小田原城へ援軍として入城し、従兄弟の長親が忍城を守るこ... -
歴史ブログ
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお城や領地や石高は?
■ 日本の歴史ブログ 吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)のお城や領地や石高は? 江戸中期、赤穂浪士・47士・忠臣蔵と様々なの呼び名で有名な刃傷事件、そして仇討事件の中心人物「吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)」のことはあ... -
歴史ブログ
石川数正はなぜ徳川家康から豊臣秀吉へ寝返ったのか?
■ 日本の歴史ブログ 石川数正はなぜ徳川家康から豊臣秀吉へ寝返ったのか? 国宝としてあまりにも有名なお城。それが松本城です。 戦国時代から幕末に至るまで多くの大名が入れ替わりました。本格的に城を整備したのは元徳川家康の側近だった「石川数正」と... -
歴史ブログ
仇討時の吉良上野介義央(きらこうずけのすけ)の屋敷跡は?
■ 日本の歴史ブログ 江戸中期に起きた仇討事件、吉良上野介義央(きらこうずけのすけ)の屋敷跡地は? 赤穂浪士の吉良邸討ち入りはあまりにも有名な話である。しかし、討ち入り当時の吉良家屋敷がどこにあったのかはあまり知られていない。「本所松坂町」... -
北陸
勝山城(越前):柴田勝家の一族柴田勝安が築城した越前勝山城(模擬天守)
【城名】 勝山城(越前) 【勝山城の説明】 越前勝山城は現在の福井県勝山市にあった平城である。 柴田勝家が主君「織田信長」より越前国を拝領すると勝家は一族の「柴田勝安」に勝山城の築城を命じた。 勝家が滅び「豊臣秀吉」が天下を握ると、次々と城主... -
四国
西条陣屋(西条藩):一柳氏が3代で改易され紀州藩の支藩として松平氏が治めた西条陣屋
【城名】 西条陣屋(西条藩) 【西条陣屋(西条藩)の説明】 西条陣屋は、愛媛県西条市明屋敷にあった西条藩の藩庁である。寛永13年(1636年)、伊勢国神戸藩5万石から1万8千石の加増をうけ6万8千石で「一柳直盛」が立藩した。 しかし直盛は神戸から西条へ... -
北陸
大聖寺城:関ヶ原の戦いでは山口宗永が前田利長に攻められて籠城・自刃した大聖寺城
【城名】 大聖寺城 【大聖寺城の説明】 大聖寺城は石川県加賀市にあった平山城である。 築城時期は鎌倉時代で狩野氏によって築かれたとされている。 戦国時代に入ると越前国の「朝倉宗滴」が加賀に侵攻し、大聖寺城は一日にして陥落した。永禄10年(1567年... -
東海
霧山城(多気城):北畠具教が大河内城へ拠点を移すまで北畠氏の本城だった霧山城
【城名】 霧山城(多気城) 【霧山城(多気城)の説明】 霧山城(多気城)は現在の三重県津市美杉町上多気にあったの山城である。 伊勢国司の北畠氏の本拠地で1kmほど南東には多気御所(館)があり、平時は御所に住み有事には霧山城に拠っていたと考えられ... -
関東・甲信
上田城:真田昌幸が築城し徳川軍を散々苦しめた上田城
【城名】 上田城 【上田城の説明】 上田城は長野県上田市二の丸にあった梯郭式平城である。 築城時期は天正11年(1583年)、信濃国小県の真田本城主の「真田昌幸」が天正11年~天正18年にかけて築城したと伝わる。 上田城が一躍有名になったのが、天正13年... -
東海
波切城(波切砦):九鬼嘉隆が田城城の支城とした波切城
【城名】 波切城(波切砦) 【波切城(波切砦)の説明】 波切城は三重県志摩市大王町波切にあった城である。 正確には砦と称した方が正しいかもしれない規模であった。 南北朝時代、この地の土豪川面氏により海岸段丘を天然の要害とし築城された。貞治年間... -
東海
田丸城:北畠具教・具房親子の居城で織田信長の攻撃で降伏・開城した田丸城
【城名】 田丸城 【田丸城の説明】 田丸城は現在の三重県度会郡玉城町田丸にあった平山城である。築城時期は南北朝時代で南朝方の「北畠親房・北畠顕信」により築かれたと伝わる。 康永元年(1342年)、足利尊氏の攻撃により落城する。その後、室町時代に... -
天空の城
赤木城:北山一揆鎮圧のため藤堂高虎が築城した天空の城 赤木城
【城名】 赤木城 【赤木城の説明】 赤木城は三重県熊野市紀和町赤木にあった平山城である。 築城時期は天正17年(1589年)年頃で、築城の名手「藤堂高虎」によって縄張りされた。 豊臣秀吉はこの地方で勃発した「北山一揆」を鎮めるために藤堂高虎と羽田長... -
東海
田城城:九鬼嘉隆が志摩国を追われるまで九鬼氏の本城となった田城城
【城名】 田城城 【田城城の説明】 田城城は現在の三重県鳥羽市岩倉町にあった志摩水軍九鬼氏の居城であった。 築城時期は天文10年(1541)、九鬼氏四代「泰隆」がこの地に城を築いたとされているが、それ以前に志摩十三地頭のひとり「田城左馬之助」が築... -
東海
木造城:織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城
【城名】 木造城 【木造城の説明】 木造城は三重県津市木造町にあった平城である。 貞治5年(1366年)、伊勢国司北畠氏の一族「木造顕俊」によって築かれた。 顕俊は「北畠顕能」の次男で木造城を築き木造氏を名乗った。さらに9代当主「木造具政」は、北畠... -
東海
鯰江城:織田信長の上洛戦で敗れた六角義賢・義治父子を迎え入れた鯰江貞景の鯰江城
【城名】 鯰江城 【鯰江城の説明】 鯰江城は滋賀県東近江市鯰江町にあった平山城で、この地を支配していた鯰江氏が治めていたとされる。 鯰江氏は室町時代に南近江守護の六角氏に属して勢力を伸ばしていたが、永禄11年(1568年)に織田信長の上洛作戦で観... -
東海
横山城:木下藤吉郎秀吉が浅井長政への抑えとして城番した横山城
【城名】 横山城 【横山城の説明】 横山城は滋賀県長浜市堀部町と石田町にまたがる場所にあった山城である。 築城時期は永禄4年(1561年)、浅井長政が南近江の六角氏への防衛拠点として築城させ、城主には一族の「浅井井演」を任命した。 長政は織田信長の... -
東海
宇佐山城:浅井・朝倉連合軍と織田軍(森可成・織田信治)で激戦となった宇佐山城
【城名】 宇佐山城 【宇佐山城の説明】 宇佐山城は滋賀県大津市南滋賀町にあった山城である。 織田信長が朝倉・浅井両氏の南進に備えるべく、琵琶湖と北国街道の押さえとして「森可成」に命じて築城させたと伝わる。 元亀元年(1570年)、大坂の本願寺を攻...
