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北条氏政は秀長に下剋上を勧めたのか|『豊臣兄弟!』第45回の場面と史実 ─ 天正17年の北条氏、沼田の裁定から名胡桃城事件まで
『豊臣兄弟!』第45回で北条氏政が秀長に兄への下剋上を勧める場面は史実なのか。天正16年から17年の北条氏と豊臣政権の関係、沼田の裁定、名胡桃城事件をたどりながら解説します。 -
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鶴松の父は本当に秀吉なのか|茶々の懐妊と「実子ではない」といううわさ ─ フロイスの記述と大野治長説を確かめる
秀吉の長男・鶴松は本当に秀吉の子だったのか。天正17年の誕生のいきさつ、フロイス『日本史』の記述、大野治長説の出どころを整理し、どこまでが確かなのかを解説します。『豊臣兄弟!』第45回の予習に。 -
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聚楽第の落書事件とは|天正17年、秀吉を批判した落首と番衆17人の処刑 ─ 尾藤道休と天満本願寺、六条河原の磔
天正17年(1589)2月、聚楽第の白壁に秀吉を批判する落書が書かれた事件を解説。番衆17、8人の処刑、尾藤道休と天満本願寺、六条河原の磔、落首の中身は茶々の懐妊だったのかまで。『豊臣兄弟!』第45回「天下人の暴走」の予習に。 -
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北野大茶湯で刃傷沙汰は本当にあったのか|記録に残る天正15年10月1日と、1日で終わった本当の理由
この記事のポイント北野大茶湯の会場で刃傷沙汰が起きたという記録は見当たりません。『豊臣兄弟!』第42回で描かれる事件は、ドラマの創作と考えられます茶会は天正15年10月1日、北野天満宮の境内で開かれました。触書では10日間の予定でしたが、実際は1... -
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豊臣秀長の死因は何だったのか|天正19年正月、郡山城での52歳の死 ─ 5年の闘病と有馬の湯治
この記事のポイント秀長は天正19年(1591)1月22日、大和郡山城で52歳で亡くなりました。史料が伝えるのは「病死」という一語だけで、病名は記されていません体の不調は突然ではありません。亡くなる数年前から湯治を重ね、回復と悪化をくりかえしていまし... -
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豊臣秀吉の死因は何だったのか|がん・結核・脚気・老衰・腎虚まで10説を比べる ─ 62歳、伏見城での最期
この記事のポイント秀吉は慶長3年(1598)8月18日、伏見城で62歳で亡くなりました。死因を記した同時代の診断書のようなものは残っていません残っているのは病名ではなく症状です。下痢、腹痛、食欲不振、やせ、失禁。晩年は咳が止まらなかったとも伝わり... -
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大坂城の浪人はどう雇われたのか|安藤政信が演じる幸村への支度金「黄金二百枚・銀三十貫」 ─ 秀吉の遺した金銀と千枚分銅、豊臣家は何を約束したのか|ドラマ『真田十勇士』第2話予習
大坂の陣で豊臣家はどうやって十万人ともいわれる浪人を雇ったのか。『駿府記』に残る信繁への支度金「黄金二百枚・銀三十貫目」、五十万石の約束の真偽、秀吉の千枚分銅と落城後に残った黄金、雇われた浪人の立場、和議のあとも浪人を抱えた豊臣家の行方まで解説します。 -
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大坂城の堀はどこまで埋められたのか|冬の陣の和議と「本丸ばかり」になった城 ─ 外堀だけの約束を破ったのは本当か【模式図】|ドラマ『真田十勇士』予習
大坂冬の陣の和議のあと、豊臣秀吉の大坂城は本丸の堀を残してほとんどの堀を埋められました。本丸・二の丸・三の丸・惣構の構えを模式図で示し、和議の条件、「外堀だけの約束を破って内堀まで埋めた」という話の真偽、夏の陣への影響、いまの大阪城の堀との違いを解説します。 -
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甲相駿三国同盟は本当にあったのか|武田・北条・今川を結んだ3つの婚姻と、善得寺の会盟という俗説 ─ 嫁いだ娘たちのその後
武田信玄、北条氏康、今川義元の3人が結んだ甲相駿三国同盟は、天文23年に成立した実在の同盟です。ただし有名な「善得寺で三者が顔を合わせた」という会盟のほうは、俗説とされています。この同盟は3つの婚姻だけで組み上げられました。娘を交換して三角... -
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石川数正はなぜ出奔したのか|7つの説を検証する ─ 浜松評定での孤立、秀吉の調略、家康と示し合わせたという話の真偽
天正13年11月13日、徳川家の岡崎城代だった石川数正が、家族を連れて秀吉のもとへ去りました。家康が今川の人質だった少年期から仕え、清洲同盟をまとめ、西三河の旗頭として徳川家の半分を預かった人です。その数正が、なぜ出て行ったのか。本人が理由を... -
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九度山から大坂城まで、幸村はどの道を通ったのか|安藤政信が演じる幸村がたどった約60キロ ─ 高野街道と紀見峠、河内長野から大坂へ【地図】|ドラマ『真田十勇士』第2話予習
九度山を出た真田幸村(信繁)は、どの道を通って大坂城に入ったのか。記録は残っていませんが、高野街道をたどり、橋本から紀見峠を越えて河内長野から大坂へ向かう道すじを地図で解説。距離と日数、浅野家の見張り、いまの南海高野線でたどる方法まで紹介します。 -
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豊臣家は本当に里芋が好きだったのか|秀吉の好物の記録と、「頭になる」頭芋の縁起 ─ 芋がら縄は戦国の知恵か後世の脚色か
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、里芋が兄妹をつなぐ食べ物として出てきます。第40回で浜松に嫁いだあさひが家康に「ただの里芋がいちばん」と言い、第41回では母の大政所が息子たちに「あんたらが好きな里芋」を出しました。では、豊臣家は本当に里芋が好... -
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あさひ(旭姫)の仮病は史実か|大政所の岡崎下向と「娘に会うため」という名目 ─ 史実では母が病み、娘が京で先に逝った
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第41回で、浜松のあさひ(旭姫)が熱を出して寝込みます。ところがそれは仮病でした。母の大政所が岡崎へ下るための口実を、娘が自分で作ったのです。この仮病は史実にありません。ドラマの創作です。ただし「娘に会うため」とい... -
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徳川家康はなぜ75歳まで長生きできたのか|麦飯と豆味噌、生涯の鷹狩り、自分で作った薬 ─ 信長49歳・秀吉62歳との差と、鯛の天ぷら説の真偽
徳川家康は75歳まで生きました。織田信長は49歳、豊臣秀吉は62歳、秀吉の弟の秀長は52歳です。家康が天下を取れた理由をひとつだけ挙げるなら、戦の強さでも策の深さでもなく、この年数になります。しかも家康の長命は偶然ではありません。麦飯と豆味噌の... -
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大野治長はなぜ籠城を選んだのか|和田正人が演じる淀殿の乳兄弟 ─ 家老のいない豊臣家で大坂城を仕切った重臣の立場と最期|ドラマ『真田十勇士』第2話予習
大野治長は淀殿の乳母・大蔵卿局の子で、片桐且元が去ったあと豊臣家の方針を動かした重臣です。秀吉の馬廻時代、家康暗殺の嫌疑と関ヶ原、冬の陣の籠城策と浪人衆との対立、襲撃事件、千姫に託した助命と山里曲輪での最期、ドラマ『真田十勇士』で和田正人が演じる治長まで解説します。 -
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大坂城に浪人はなぜ十万人も集まったのか|安藤政信が演じる幸村と大坂五人衆 ─ 増田修一朗が演じる後藤又兵衛ら浪人大将の経歴と最期|ドラマ『真田十勇士』第2話予習
大坂五人衆とは、大坂の陣で豊臣方の浪人衆を率いた真田信繁(幸村)・後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛利勝永・明石全登の5人です。浪人が大坂城に集まった理由、それぞれの経歴、冬の陣の軍議、夏の陣での最期、ドラマ『真田十勇士』で増田修一朗が演じる又兵衛まで解説します。 -
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石川数正の生涯|家康に仕えた少年期から出奔、豊臣大名として松本城を築くまで ─ 迫田孝也が演じる西三河の旗頭
石川数正は、家康が今川の人質だった少年期から仕え、清洲同盟をまとめ、西三河の旗頭として徳川家の半分を預かった人です。それが天正13年11月13日、突然徳川を離れて秀吉のもとへ走ります。豊臣では河内で8万石、のちに信濃松本へ移って松本城を築きまし... -
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政略結婚と人質はどうちがうのか|人質・養子・嫁入りの3つの形 ─ 大政所、上杉景虎、愛姫がたどった別々の結末
政略結婚と人質は、よく似ていて目的が正反対です。人質は「裏切らせないための担保」で、裏切れば差し出した者の命が失われます。いっぽう婚姻は「裏切る理由をなくすための統合」で、生まれた子が両家の血をつなぎます。だから結末もまるで違います。人... -
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お国は実在したのか|久間田琳加が演じる『真田十勇士』九度山の娘 ─ 真田紐を売り歩いた伝承、九度山の真田家の女性たち、出雲阿国とくノ一
ドラマ『真田十勇士』で久間田琳加が演じる九度山の娘・お国は実在したのか。史料や講談には見えないオリジナルの人物ですが、真田紐を売り歩いた言い伝え、九度山で暮らした竹林院や阿梅ら真田家の女性たち、同時代の出雲阿国、くノ一の実像まで、お国に重なる史実を解説します。 -
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関白が実の母を人質に出すのは異例だったのか|戦国の人質は弱い側が出すもの ─ 於義伊・旭姫・大政所で見る天正14年の逆転
戦国の人質は、弱い側が強い側に出すものでした。従いますという約束の担保だからです。ところが天正14年、関白になっていた秀吉は、妹の旭を家康の正室として送り、さらに実の母である大政所を三河の岡崎へ送りました。強い側が、しかも70歳を過ぎた母を...
