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歴史ブログ
東京の住宅街にある城跡とは?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 東京の住宅街にある城跡とは? 世田谷城は吉良氏(吉良治家)が世田谷郷を与えられた時に館として整備された城である。 その後代々吉良家が治める城として栄えたが戦国時代に入り、吉良氏朝が「北条氏政」に味方をしたため豊臣軍に接取... -
日本100名城
琉球の城々:日本100名城 今帰仁城 中城城と座喜味城・勝連城【日本の歴史 お城特集】
【城名】 琉球で栄えた壮大な石垣が残る城々 現在の沖縄は江戸時代以前から琉球王朝として栄えていた。 しかし、江戸幕府が開かれると薩摩の島津家が琉球征伐を願いでてこれが許される。 豊臣政権時代に鹿野藩主だった「亀井茲矩」は秀吉にかねてより琉球... -
歴史ブログ
掃部山公園の名前の由来とは?日本を開国した井伊直弼【日本の歴史ブログ 史跡(銅像)】
■ 日本の歴史ブログ 掃部山公園に建つ日本を開国した井伊直弼像 掃部山公園(かもんやまこうえん)にそびえ立つ「井伊直弼」の銅像です。掃部山公園は「横浜みなとみらい」を見下ろす高台にあり、桜の名所としても有名な公園である。 江戸時代までは海に面... -
北海道・東北
松前城:戊辰戦争では旧幕府軍と交戦 北の大地に根を下ろした松前城(別名:福山城)【お城特集 日本の歴史】
【城名】 松前城(福山城) 【城の説明】 松前城は、北海道松前郡松前町にあった平山城である。 別名を「福山城」とも呼ばれている。 元々は南部家の家臣であった蠣崎氏が青森県むつ市川内町蛎崎に所在し、蠣崎城を居城としたとされている。その後「蠣崎信... -
関東・甲信
花輪城:北条氏政と結託して下総を領有した高城胤吉の居城 花輪城【日本の歴史 お城特集】
【城名】 花輪城 【城の説明】 花輪城址は、戦国期に松戸市大谷口の小金城を本拠としていた高城氏(高城胤吉)に属していた城である。 高城氏(たかぎし)は、千葉氏の属した家臣で下総国葛飾郡小金(現在の千葉県松戸市)の小金城を本拠とした国人衆で足... -
歴史ブログ
徳川家康に散財させられ続けた豊臣恩顧の大名達【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 徳川家康に散財させられ続けた豊臣恩顧の大名達 慶長十五年(1610年)徳川家康は、第九男の義直を尾張名古屋城主として任命する。任命すると同時に名古屋城の築城が開始された。この家康の実子が城主となる名古屋城の築城には加藤清正... -
歴史ブログ
平将門の末裔相馬氏による由緒ある神事 相馬野馬追とは【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 平将門の末裔相馬氏による由緒ある神事 相馬野馬追 相馬野馬追とは現在の福島県南相馬市で行われる由緒ある祭りである。平将門は下総国相馬郡小金原にて軍事訓練の一環として野生の馬を解き放ちこれを敵兵とみなして訓練をしていたとい... -
歴史ブログ
近藤勇 盟友土方歳三との最後の別れ方とは?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 近藤勇 盟友土方歳三との最後の別れ方とは? 「鳥羽伏見の戦い」で薩摩藩・長州藩が主体の新政府軍に敗れた旧幕府軍や新選組は、惨憺たる思いでどうにか江戸へ帰還することが出来た。 近藤勇率いる新選組はその名を「甲陽鎮撫隊」と改... -
歴史ブログ
戦国武将の人情(武田信玄 編)【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 戦国武将の人情(武田信玄 編)【日本の歴史ブログ】 武田信玄には人の使い方についての温かい話が残っている。岩間という部下は臆病もので、合戦の度に泣きわめいて、「俺は死にたくない!戦には行きたくない!」というのだった。 ま... -
歴史ブログ
最盛期は全国の1/3を領した織田信長の石高は何万石?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 織田信長の最盛期は全国の1/3を領し推定石高は約780万石? 日本全国で覇を競った戦国武将たちでしたが、実際に信長のように天下統一を目指した大名は数少ない。多くの戦国大名がそれぞれの領土を死守し、地方を経営することしか考えて... -
歴史ブログ
織田信長が好んで謡った敦盛の一節その内容とは? 【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 織田信長が好んで謡った敦盛の一節その内容とは? 「信長公記」より信長が好んで謡い・舞ったと言われている「人間五十年~」という行(くだり)をご紹介。 信長が好んだと言われている「敦盛」は聞いたことがあるが内容までは・・とい... -
歴史ブログ
津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ 津軽為信は陸奥の国を治める南部氏の家臣だった。 しかし、南部家が隣国の秋田家(安東家)と激しい争いをしている間にどんどん津軽地方を統一。 ついには強大な武力と権力を駆使して主家に背く... -
歴史ブログ
凌霜隊 悲しい小藩の定め?新政府軍と旧幕府軍に二股をかけざるを得なかった郡上藩【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 悲しい小藩の定め?新政府軍と旧幕府軍に二股をかけざるを得なかった郡上藩【日本の歴史ブログ】 郡上藩は幕末時には青山家が治める領地でした。 2万4千石という小藩の悲しさなのか、戊辰戦争時は新政府軍と旧幕府軍の両方に味方する... -
歴史ブログ
織田信長に反旗を翻した荒木村重の結末とは?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 織田信長に反旗を翻した荒木村重の結末とは? 織田信長が本願寺攻めを本格的に始動していた当時、摂津の国(現:大阪)一国を与えられていたにも関わらず信長に反旗を翻した荒木村重。 謀反の理由は諸説あるが一番有力とされるのが、村... -
歴史ブログ
真実ではない今川義元の上洛説?桶狭間の戦いは偶発的に起こった?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 真実ではない今川義元の上洛説? 永禄三年(1560)五月一九日、尾張の桶狭間とその周辺で、信長は尾張に侵攻してきた今川義元の大軍を破った。いわゆる桶狭間の戦いである。当時、義元は駿河と遠江を中心に、三河の大半と尾張の一部に... -
近畿
安土城:天下布武を目指した織田信長の居城 天守への登り口石段と石垣が残る安土城 【日本の歴史 お城特集】
【城名】 安土城 【城の説明】 天正4年(1576年)織田信長は丹羽長秀を城の総普請奉行に任命し、近江守護六角氏居「城観音寺城」の支城の安土山に築城を開始する。天正7年(1579年)5月に安土城が完成し信長は天守に移り住む。 ここから各地の司令官へ指示... -
関東・甲信
千葉城(亥鼻城):千葉常胤が源頼朝の挙兵に呼応 戦国時代初期まで栄えた千葉氏 千葉城 【日本の歴史 お城特集】
【城名】 千葉城(亥鼻城) 【千葉城の説明】 源頼朝が平家打倒のために挙兵した際に、これに「千葉常胤」が呼応し一時は下総国にて栄えた。 千葉氏の城館跡で一般的には「亥鼻城(いのはなじょう)」又は千葉城(ちばじょう)と呼称されている。千葉城は... -
東海
郡上八幡城:戦国期は遠藤慶隆が城主であり幕末時は青山家の居城 郡上八幡城【日本の歴史 お城特集】
【城名】 郡上八幡城 【城の説明】 永禄2年(1559年)八幡山の上に遠藤盛数が砦を築き、これが郡上八幡城の起源となる。 その後嫡男の「遠藤慶隆」が城主となるが織田信孝の傘下に属していたため羽柴秀吉によって追放された。 関ヶ原の戦いの功績により再... -
近畿
有岡城(伊丹城):荒木村重の説得を試みた黒田官兵衛が幽閉された有岡城【日本の歴史 お城特集】
【城名】 有岡城(伊丹城) 【城の説明】 天正6年(1578年)荒木村重が、石山本願寺の誘いに乗り信長に背いた。さらに、黒田官兵衛の主人「小寺政職」も荒木村重や毛利の誘いに乗り毛利方となってしまう。 官兵衛は村重の翻意を確かめるべく会いに行くが逆... -
戦国時代
井伊直政:彦根駅前 徳川四天王の一人 井伊直政像【日本の歴史 史跡(像)】
【史跡名】 徳川四天王の一人 井伊直政像 【史跡の説明】 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、旧武田家の家臣団を多く抱えた「井伊の赤備え」で有名な武将である。 関ヶ原の戦いの戦功で近江(滋賀県)佐和山城主となり、後に城を彦根に移し現在の彦根...


