慈光院(大和郡山市):片桐石州が建てた茶の寺 ─ 秀長の家老・桑山重晴の子から受け継いだ利休の茶と、片桐且元の茨木城の門

慈光院の書院と茅葺屋根の建物、手前は苔の庭と石畳
この記事のポイント
  • 慈光院(奈良県大和郡山市小泉町)は、小泉藩の二代藩主・片桐石州(貞昌)が寛文3年(1663)、父・片桐貞隆の菩提を弔うために建てた臨済宗の寺です
  • 石州に茶を教えた桑山宗仙は、『豊臣兄弟!』で住田隆さんが演じる秀長の筆頭家老・桑山重晴の三男でした。千利休の子・道安に学んだ茶が、秀長の家臣の家を通って石州へ受け継がれ、武家の茶道「石州流」になります
  • 石州の伯父は、賤ヶ岳の七本槍のひとりで豊臣家の家老を務めた片桐且元です。寺の入口の門は、且元が城主だった茨木城の門を移したものと伝わります
  • 茅葺の書院と茶室は国の重要文化財、奈良盆地を借景にした庭は国の名勝・史跡です。拝観ではお抹茶をいただけます

慈光院は、羽田正親が城主を務めた小泉城の北、富雄川沿いの丘の上にある寺です。建てたのは江戸時代の大名で茶人の片桐石州で、時代こそ『豊臣兄弟!』の後になりますが、この寺には豊臣家の記憶がいくつも重なっています。石州の茶の師は秀長の家老・桑山重晴の子、石州の伯父は秀吉に仕えた片桐且元、そしてその茶をさかのぼると千利休にたどり着きます。秀長と利休が亡くなった天正19年から七十年あまりのちに建てられた、「豊臣の茶」のゆくえを伝える寺として紹介します。

慈光院の木立のなかを通る石畳の参道
慈光院の参道。木立の切り通しを石畳の道が抜けていきます
目次

慈光院とは ─ 父の菩提を弔う寺

慈光院は寛文3年(1663)、小泉藩の二代藩主・片桐貞昌、号して石州が、亡き父・片桐貞隆の菩提を弔うために建てた寺です。京都・大徳寺の玉舟和尚を開山に迎えた臨済宗の寺で、寺の名は父の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」からとられました。小泉の陣屋からほど近い丘の上に建ち、寺そのものが一つの茶席として設計されたと言われるほど、石州の茶の考えが隅々まで行きわたっています。石州は晩年、この寺を隠居所としても用いました。

片桐石州とは ─ 将軍に茶を教えた大名

片桐石州(貞昌)は慶長10年(1605)に生まれ、父・貞隆のあとを継いで小泉藩一万六千石あまりの藩主となりました。石見守に任じられたことから石州と呼ばれます。大名としては、京都・知恩院の普請奉行をはじめ、各地の作事や関東の郡奉行など、建物と土木の仕事を多く任されました。寛文5年(1665)には四代将軍・徳川家綱の求めで江戸城で茶を点て、将軍の茶道師範となります。石州が広めた茶は「石州流」と呼ばれ、江戸時代を通じて大名や武士の茶の主流になりました。

石州の茶は、秀長の家老の家から来た

石州に茶を教えたのは、桑山宗仙という人物です。宗仙の本名は桑山貞晴といい、永禄3年(1560)に生まれた、秀長の筆頭家老・桑山重晴の三男でした。宗仙自身も秀長に仕えて大和で知行を得ており、秀長の家中で育った武士です。その宗仙が茶を学んだのが、千利休の長男・千道安と、利休の高弟・古田織部でした。つまり石州流の茶は、利休から道安へ、道安から秀長の家臣の家に生まれた宗仙へ、そして宗仙から片桐石州へと受け継がれたことになります。

『豊臣兄弟!』では、住田隆さんが桑山重晴を、吉岡秀隆さんが千利休を演じています。ドラマの中では接点の少ない二人かもしれませんが、利休の茶は、秀長の筆頭家老の息子を通って江戸の大名の茶になりました。重晴の人物像は桑山重晴とはで、利休の最期は豊臣秀吉はなぜ千利休を切腹させたのかで、利休の弟子たちのその後は千利休の弟子たちはどうなったのかで紹介しています。

▽ よく語られる話
利休の茶は、利休の切腹とともに表舞台から消えた。
▼ 史実ではこうです
利休の子・道安や弟子の古田織部は茶の湯を続け、その教えは秀長の家臣の家に生まれた桑山宗仙を通って片桐石州に伝わりました。石州は将軍家の茶道師範となり、利休の流れは武家の茶として江戸時代に広がっていきます。

伯父・片桐且元と、茨木城の門

石州の伯父は、片桐且元です。賤ヶ岳の戦いで手柄を立てた「七本槍」のひとりで、秀吉の死後は豊臣家の家老として幼い秀頼を支えました。しかし大坂の陣の前、徳川家との交渉の中で豊臣家から疑われ、大坂城を去って居城の茨木城に退きます。豊臣家に最後まで仕えようとしながら、豊臣と徳川のあいだで引き裂かれた人でした。七本槍の七人がどうなったかは賤ヶ岳の七本槍とはで書いています。

慈光院の入口に立つ門は「茨木門」と呼ばれ、且元が城主だった摂津の茨木城の楼門を移したものと伝わります。寺に移されたとき、屋根は書院に合わせて茅葺に改められました。兄の且元が守ろうとした豊臣家は大坂の陣で滅びましたが、弟の貞隆が開いた小泉藩は幕末まで続き、その子の石州は、且元の城の門をくぐる場所に父の寺を建てたことになります。茨木城そのものの歴史は茨木城で紹介しています。

書院と茶室、奈良盆地を借りた庭

書院は入母屋造の茅葺屋根をもつ農家風の建物で、国の重要文化財です。十三畳の部屋が続き、座敷に座ると、大きく刈り込んだツツジの生垣の向こうに奈良盆地と東の山々が広がります。庭の外の景色を庭の一部として取り込む「借景」の名園として、国の名勝・史跡に指定されています。書院には二畳台目の茶室「高林庵」が付属し、こちらも重要文化財です。亭主の座る側に床を構える「亭主床」という珍しい形で、石州の好みをよく伝えています。

慈光院の手水鉢と小さな庭
慈光院の手水鉢。茶人大名が建てた寺らしい、簡素な設えです

拝観と、小泉城跡とのめぐり方

慈光院は年中拝観でき、拝観時間は午前9時から午後5時まで、拝観料1,000円にはお抹茶とお菓子の接待が含まれるとされます(料金や時間は変わることがあるので、出かける前に寺の案内で確認してください)。書院でお茶をいただきながら借景の庭を眺めるのが、この寺のいちばんの楽しみ方です。JR大和路線の大和小泉駅から歩いて15分ほど、近鉄郡山駅からは奈良交通のバスで「慈光院」下車です。車で行く場合は寺の駐車場を使えます。

大和小泉駅から小泉城跡の堀と櫓、小泉神社に移された城門を見てから慈光院へ向かうと、羽田正親の城から片桐家の陣屋、そして石州の寺へと、豊臣から江戸への流れを一続きでたどることができます。秀長の本城・大和郡山城まではJRでひと駅です。

よくある疑問

Q. 慈光院は誰が建てたのですか?
A. 小泉藩の二代藩主・片桐石州(貞昌)が、寛文3年(1663)に父・貞隆の菩提を弔うために建てました。

Q. 慈光院と『豊臣兄弟!』にはどんな関係がありますか?
A. 石州の茶の師・桑山宗仙は、ドラマで住田隆さんが演じる秀長の筆頭家老・桑山重晴の三男です。また石州の伯父は豊臣家の家老・片桐且元で、入口の茨木門は且元の茨木城の門と伝わります。

Q. 石州流とはどんな茶道ですか?
A. 千利休の子・道安の流れをくみ、片桐石州が始めた武家の茶道です。将軍家綱の茶道師範となったことから、江戸時代の大名や武士に広く広まりました。

Q. お抹茶はいただけますか?
A. 拝観料にお抹茶とお菓子の接待が含まれるとされます。書院で庭を眺めながらいただけます。

まとめ

慈光院は、江戸時代に建てられた寺ですが、その奥には豊臣家の時代がまっすぐつながっています。石州の茶は、千利休の子・道安から、秀長の筆頭家老・桑山重晴の子である宗仙を経て受け継がれ、石州の伯父・片桐且元の城の門が、寺の入口に立っています。秀長と利休が同じ年に世を去ったあとも、二人のまわりにいた人びとの手で、豊臣の茶は大和の小さな寺に生き続けました。小泉城跡とあわせて訪ねてみてください。

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