織田信長– tag –
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信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(後編)
■ 日本の歴史 信長公記:桶狭間の戦い(後編) 織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」の桶狭間の戦いの行(くだり)後編をご紹介いたします。 全軍は義元本陣めがけ黒い玉となって駆け出した。この様子を目にした今川勢は、ひとたまりもなく... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(前編)
■ 日本の歴史ガイド 信長公記:桶狭間の戦い(前編) 日本の歴史ガイドでは織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」を少しずつご紹介して行きたいと思っております。 永禄3(1560年)年5月17日、今川義元の先陣は沓掛に参着し、翌日大高城へ兵糧... -
日本100名城
観音寺城跡:安土城より二十年早く石垣を積んだ千の曲輪と、六角父子が戦わずに捨てた理由
観音寺城は、近江の守護・六角氏が繖山(きぬがさやま)の山ぜんたいに築いた巨大な山城です。曲輪の数は千を超えるといわれ、規模でいえば日本でも最大級。しかも安土城より二十年ほど早い時期から石垣を多用していて、山城に石を積むという発想の先駆け... -
日本100名城
小谷城跡(長浜市):浅井長政とお市の方の城 秀吉に切断された北近江の山城
小谷城とは 小谷城は、北近江を三代にわたって支配した浅井氏の居城である。琵琶湖の北東、小谷山(標高約495メートル)の尾根に曲輪を連ねた大規模な山城で、戦国期屈指の堅城として知られた。 天正元年(1573)、織田信長に攻められて落城。城主・浅井長... -
北陸
一乗谷朝倉氏遺跡(一乗谷城):朝倉義景の城下町と復原町並 信長に焼かれた「北の京」
一乗谷城とは 一乗谷城は、越前を約百年にわたって支配した朝倉氏の本拠である。福井市街から足羽川をさかのぼった一乗谷という細長い谷に、城主の館、家臣の屋敷、寺院、町屋がぎっしりと並び、背後の一乗城山(標高約473メートル)には詰城の山城が構え... -
日本100名城
岐阜城(稲葉山城):信長が天下布武を掲げた城と、山麓の居館跡・山頂の巨石の石垣
【城名】 岐阜城(旧名:稲葉山城) 【城の説明】 岐阜城は岐阜県岐阜市の金華山にあった山城です。現在の金華山は旧名では美濃国井之口稲葉山と呼称されていました。織田信長が、斎藤龍興(斎藤道三の孫)から奪取した稲葉山城の縄張りを改修して、新たに... -
日本100名城
岐阜城:本能寺の変にて織田信長・信忠親子が斃れ城主がめまぐるしく変わる岐阜城 中編
【城名】 岐阜城(稲葉山城) 【城の説明】 信長は美濃を拠点に北近江の浅井家、越前の朝倉家などと攻防を重ね、長い年月をかけて近江・越前・近畿、さらには本願寺を降伏させて摂津の国などを支配下においた。その上で各方面へ担当の軍事司令官を配置し、... -
中国
津山城跡(鶴山公園):森蘭丸の弟が十三年かけて築いた城と、七十七の櫓
津山城跡は鶴山という小高い丘の全体を石垣で固めた城です。天守も櫓もすべて明治に取り壊されましたが、段々に積み上げられた石垣はそっくり残り、麓から見上げると壁が何段も重なって迫ってきます。記録によれば櫓は七十を超え、その数は姫路城を上回り... -
東海
阿坂城跡(白米城・松阪市):全国にある白米の伝説と、山城を落とす水の話
阿坂城(あざかじょう)は、松阪市の西にそびえる桝形山の上にあった山城です。南北朝のころ、伊勢に入った北畠親房が築いた城のひとつと伝えられます。南の曲輪は白米城、北の曲輪は椎之木城と呼ばれました。織田信長の伊勢攻めでは木下藤吉郎が攻め、落... -
北陸
越前大野城:信長の家臣金森長近により築城された天空の城 越前大野城
【城名】 越前大野城 【越前大野城の説明】 越前大野城は福井県大野市にある城である。天正3年(1575年)越前一向一揆を平定した恩賞として織田信長から越前国大野郡の内の3万石を「金森長近」に与えられ、残りを「原政茂」が拝領した。 その翌年、長近が... -
東海
那古野城跡:五歳の吉法師が城主になった館と、名古屋城のどこにあったのか
那古野城(なごやじょう)は、織田信長がはじめて城主となった城です。もとは今川氏の一族が構えた館で、これを信長の父・信秀が奪い、やがて幼い嫡男へ譲りました。天守も高石垣も持たない方形の館で、周囲を堀と土塁でかこんだ武家屋敷に近い姿だったと... -
東海
清洲城:信長が一族から奪った尾張の中心と、町ごと名古屋へ移された清洲越し
清洲城は尾張の政治の中心だった城で、織田信長が一族の争いを勝ち抜いて手に入れ、桶狭間へ出陣し、徳川家康と同盟を結んだ場所です。本能寺の変のあとに織田家の行く末を決めた清洲会議もここで開かれました。ただし、いま五条川のほとりに建つ天守は平...
