【城名】
松任城
【松任城の説明】
松任城は石川県白山市古城町にあった城です。
鎌倉時代初期に松任範光が築城したと伝えられています。

天正8年(1580年)織田家の北陸地方担当の「柴田勝家」が松任城を落城させると、家臣の「徳山則秀」が入城しました。その後、天正11年(1583年)羽柴秀吉と柴田勝家との間で「賤ヶ岳の戦い」が勃発すると秀吉が圧勝し、勝家は北の庄城にて自害しました。
元々勝家の与力だった「前田利家」はこの戦を静観することで秀吉に間接的に味方し、その恩賞として嫡男「利長」に松任城4万石が与えられました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは前田家は徳川家につき家を保った。

この戦で大谷吉継の軍(西軍)に属していた「赤座直保」は敗戦後改易されるが、前田利長に7千石にて迎えられ松任城代に任命されます。なお、江戸時代に入ると一国一城令が発令され松任城も廃城となりました。

現在は「松任城址公園」として整備されています。
一向一揆の時代の加賀にあった城
松任城は、手取川の扇状地に築かれた平城です。守護の富樫氏が一向一揆に倒され、加賀が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた時代、この城も本願寺方の手にありました。石垣を持たず、堀と土塁で囲む造りだったとみられます。織田信長が北陸へ兵を進めると、加賀の城は次々に落とされ、天正八年(一五八〇)、柴田勝家の軍が松任城を落としました。
賤ヶ岳のあと、前田の城に
勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れて北ノ庄城に果てると、加賀は前田利家の手に入ります。松任城は嫡男・利長に四万石で与えられました。金沢城に近く、手取川の渡しと北国街道を押さえる位置にあるため、前田家にとっては金沢の南を固める城だったわけです。
関ヶ原で裏切った男が、城代になった
松任城の城代に入ったのは、赤座直保という武将です。関ヶ原で西軍にいながら東軍へ寝返った四人のうちの一人ですが、戦後は所領を取り上げられました。その赤座を、前田利長が七千石で召し抱え、この城を預けています。寝返りの評価は割れても、実務のできる武将は拾われたということです。
現地はいま
江戸時代の一国一城令で松任城は廃されました。いまは松任城址公園として整備され、堀の一部と城址の碑が残ります。JR松任駅のすぐそばで、駅前には加賀の女流俳人・千代女ゆかりの施設もあります。土塁や堀の見方は城の基本用語にまとめました。
【松任城・場所・アクセス】
〒924-0872 石川県白山市古城町42
【松任城地図】

