小栗忠政とは:姉川で家康を守った「又一」の槍——2,550石の旗本はなぜ大名にならなかったのか

姉川の戦いで、槍をかまえて敵に向かう若き日の小栗忠政(イメージイラスト)

小栗忠政(おぐり ただまさ、1555〜1616)は、徳川家康に仕えた三河の武将です。姉川の戦いで家康のそばを守って奮戦し、その後も戦のたびに一番槍をあげたことから、家康に「又一(またいち)」の名を与えられたと伝わります。

この「又一」の名は、子孫の当主たちが代々受け継ぎました。幕末の勘定奉行・小栗忠順(小栗上野介)も、家督を継いだときに「又一」を名乗っています。戦国の槍働きで知られた武将は、どんな人物で、なぜ大名にならなかったのでしょうか。

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父・小栗吉忠は、家康の「内政の奉行」でした

忠政の父・小栗吉忠(1527〜1590)は、松平家の一族から分かれた三河の小栗家の人です。家康の父・松平広忠の小姓から仕え、家康のもとでは遠江を中心に検地や寺社領の支配、街道の整備を担う奉行として働きました。

天正十年(1582年)には、甲州攻めを終えた信長が東海道を帰る際に天竜川へ橋を架け、晩年には家康の五か国の総検地で中心的な役割を果たしています。戦場よりも、国を治める実務で家康を支えた人物でした。

十三歳で家康の小姓に

忠政は天文二十四年(1555年)に生まれ、十三歳で家康の小姓となりました。父と同じく、主君のすぐそばで仕えるところから始まったのです。

姉川の戦いで、家康のそばを守りました

元亀元年(1570年)、織田信長と徳川家康は、近江の姉川で浅井・朝倉の軍と戦いました。このとき忠政は家康のそばで警護にあたり、急に襲いかかってきた敵兵を相手に奮戦したとされます。

家康はこの働きをほめ、忠政に名槍を与えたと伝わります。十六歳のころの手柄でした。姉川の戦いそのものについては「豊臣兄弟!第13〜17回 史実解説|姉川・比叡山・小谷落城」で紹介しています。

「又も一番槍か」——又一の名

忠政の通称は、もとは「又市」でした。その後も戦のたびに一番槍をあげたため、家康から「又も一番槍か」という意味をこめて「又一」の字を与えられた、と伝えられています。

一番槍とは、戦で最初に敵に槍をつけることです。いちばん危ない役目であり、武士にとって最高の名誉のひとつでした。

駿河から大坂まで、家康の戦に加わりました

忠政はその後も家康の主な戦いに加わっています。武田家の駿河への侵攻、天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦い(酒井忠次の隊に属したとされます)、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い、そして大坂の陣です。

大坂夏の陣では鉄砲の傷を受け、その傷がもとで翌元和二年(1616年)、六十二歳で亡くなりました。家康が亡くなったのと同じ年です。小牧・長久手については「小牧・長久手の戦いはどっちが勝った?」、関ヶ原は「関ヶ原の戦いをわかりやすく解説」、大坂の陣は「大坂の陣をわかりやすく解説」で紹介しています。

石高は2,550石、領地は武蔵の大成村

忠政が家康から与えられた知行は、上野・武蔵・下総の三か国にまたがって、あわせて2,550石でした。その中心となったのが、武蔵国足立郡の大成村(いまの埼玉県さいたま市大宮区)です。

忠政はここにあった普門院という寺を立て直し、小栗家の菩提寺としました。普門院には今も小栗家の墓碑が並んでいます。

なぜ大名にならなかったのか

同じ三河以来の家臣でも、本多忠勝や榊原康政、井伊直政のように十万石を超える大名になった者がいます。榊原康政の城は「館林城跡」、井伊家の城は「彦根城」で紹介しています。一番槍の武功をあげた忠政は、なぜ2,550石の旗本にとどまったのでしょうか。

はっきりした理由を書いた史料は見つかっていません。ただ、いくつかのことは考えられます。

  • 大名になったのは、大きな部隊を率いた者だった:本多・榊原・井伊は、家康の軍の中で一軍をまかされる立場でした。忠政の武功は、家康のそばで槍をふるう個人の働きが中心でした。
  • 家康には、そばに置く直属の家臣が必要だった:家康は、江戸で将軍を守り、幕府の役をつとめる直属の家臣を大勢かかえました。これが旗本です。三河以来の家柄の者が旗本として残ることは、決して格下げではありませんでした。
  • 大名は「一万石以上」:江戸時代には一万石以上を大名、それ未満で将軍に直接仕える者を旗本と呼ぶ区別がありました。2,550石は旗本の中では大身といえる石高です。

小栗家は城こそ持ちませんでしたが、松平家がまだ三河の安祥城にいたころから仕えた「安祥譜代」の家として、旗本の中でも重んじられる家柄になりました。

子孫は幕末の勘定奉行・小栗上野介

「又一」の名を受け継いだ小栗家は、旗本として江戸時代を通じて続きました。そして幕末、この家から勘定奉行として横須賀製鉄所をつくった小栗忠順が出ます。大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公です。

小栗家のその後や忠順については、姉妹サイトの幕末歴史ガイドで紹介しています。

ゆかりの地

  • 普門院(埼玉県さいたま市大宮区):忠政が立て直した小栗家の菩提寺で、小栗家の墓碑が並んでいます。
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