今川義元– tag –
-
東海
沓掛城:今川義元の大軍がこの城から出撃し桶狭間の戦いで敗戦 沓掛城
城名 沓掛城 沓掛城の説明 沓掛城は愛知県豊明市沓掛町にあった平城である。 築城時期は諸説あるが応永年間とされるのが有力であり、築城者は「近藤宗光」「藤原義行」の名が挙げられている。 室町時代に入ると、近藤氏が沓掛城主として統治していたことは... -
日本100名城
駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
歴史ブログ
真実ではない今川義元の上洛説?桶狭間の戦いは偶発的に起こった?
■ 日本の歴史ブログ 真実ではない今川義元の上洛説? 永禄三年(1560)五月一九日、尾張の桶狭間とその周辺で、信長は尾張に侵攻してきた今川義元の大軍を破った。いわゆる桶狭間の戦いです。当時、義元は駿河と遠江を中心に、三河の大半と尾張の一部にま... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(後編)
■ 日本の歴史 信長公記:桶狭間の戦い(後編) 織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」の桶狭間の戦いの行(くだり)後編をご紹介いたします。 全軍は義元本陣めがけ黒い玉となって駆け出した。この様子を目にした今川勢は、ひとたまりもなく... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(前編)
■ 日本の歴史ガイド 信長公記:桶狭間の戦い(前編) 日本の歴史ガイドでは織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」を少しずつご紹介して行きたいと思っております。 永禄3(1560年)年5月17日、今川義元の先陣は沓掛に参着し、翌日大高城へ兵糧...
1
