豊臣兄弟!第18〜21回 史実解説|「羽柴」という姓はどう作られたのか、秀長はいつ将になったのか

竹田城:赤松広秀が城主であった天空の城 竹田城
この記事のポイント

  • 天正元年(1573)、木下から羽柴へ改姓。丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ取ったと伝わる
  • 秀吉が長浜城主となり、秀長が留守を預かる体制ができる
  • 天正五年(1577)、松永久秀が信貴山城で自害。「平蜘蛛の釜」の逸話が生まれる
  • 但馬攻めで秀長が総大将を任される。兄の代理として独立した指揮を執りはじめる
▽ よく語られる話
松永久秀は名器「平蜘蛛の釜」を抱いて爆死した。
▼ 史実ではこうです
釜を割ったのか、爆死したのか、史料によって記述が分かれ、確定していません。それでもこの話が残り続けるのは、「茶器が命と釣り合う」という当時の価値観を、これ以上なく端的に示しているからでしょう。信長は茶器で家臣を褒賞していました。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第18回「羽柴兄弟!」から第21回「風雲!竹田城」まで。木下から羽柴へ名を改め、長浜に城を構え、秀長が但馬で総大将となるまでの四回である。

ここが「豊臣兄弟」というドラマの本当の起点かもしれない。兄の部下だった弟が、独立した将になる時期だからだ。

長浜城。秀吉が城主となり、弟・秀長が留守を預かる体制がここで生まれた

目次

この四回で実際に起きたこと

  • 天正元年(1573)… 秀吉、木下から羽柴へ改姓。長浜城を築く
  • 天正四年(1576)安土城の築城開始
  • 天正五年(1577)十月松永久秀が信貴山城で自害
  • 天正五〜八年… 但馬攻め。秀長が総大将として竹田城などを攻略
  • 天正八年(1580)… 但馬平定。秀長が出石城主に

補助線①:「羽柴」という名前の作り方

木下藤吉郎は、この時期に羽柴秀吉と名を改める。

由来は、織田家の重臣丹羽長秀の「羽」と柴田勝家の「柴」を取ったものと伝わる。実力者二人の名を借りて、自分の姓を作ったのである。

系図のない家の出身であることは出自の記事で書いたとおりだ。血で説明できないなら、名前を組み立てればいい。のちに「豊臣」という姓を新しく創出するのも、発想は同じである。

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秀吉はなぜ関白になったのか:征夷大将軍を選ばなかった理由と豊臣姓の創出

系図を持たない男が、権威の問題をどう解いたか。羽柴も豊臣も、同じ発想の産物です。

補助線②:長浜で「兄弟の分業」が生まれた

秀吉が城主になったということは、留守を預かる者が必要になったということでもある。

兄が信長の命で各地を転戦するあいだ、長浜を差配したのが弟・秀長である。年貢を集め、家臣をまとめ、城を維持する。この分業が、以後二十年近く続く。

「秀長は補佐役だった」とよく言われるが、正確には「兄が動けるように留守を守る役」から始まっている。そこから軍を率いる将へ、さらに百万石の大名へと役割が広がっていく。

なぜ秀吉は、山城ではなく平城を選んだのか

浅井を滅ぼした恩賞として北近江三郡を得たとき、秀吉には選択肢があった。すぐそこに、落としたばかりの小谷城があったのである。

日本五大山城に数えられる堅固な城だ。普通ならそこへ入る。

だが秀吉は小谷城を捨て、琵琶湖畔に新しく長浜城を築いた。

理由ははっきりしている。山の上の城は守りには強いが、人も物も集まらない。琵琶湖畔なら船が着く。街道が通る。町ができる。

この人は最初から「守る城」ではなく「稼ぐ城」を選んでいた。のちに大坂城を築くときも、水運の要にこだわる。長浜での選択は、天下人になったあとまで一貫している。

そして皮肉なことに、この長浜城が十年後、柴田勝家の手に渡り、賤ヶ岳の引き金になる。

補助線③:松永久秀と「平蜘蛛の釜」

天正五年、松永久秀が信長に背き、信貴山城で自害する。

このとき名器「平蜘蛛の釜」を差し出せば助けると言われ、久秀は釜を叩き割って死んだ——という逸話が有名である。ただし釜を割ったかどうかは史料により記述が分かれ、確定していない。

それでもこの話が残り続けるのは、「茶器が命と釣り合う」という当時の価値観を、これ以上なく端的に示しているからだろう。信長は茶器で家臣を褒賞していた。茶の湯は趣味ではなく、政治の道具だった。

補助線④:秀長、はじめての総大将

但馬攻めで、秀長は総大将を任される。兄の副官ではなく、独立した指揮官としての初仕事である。

竹田城をはじめ但馬の城を攻略し、天正八年には平定を果たした。のちに四国平定十万の総大将、九州で日向方面軍の総大将を務める下地は、ここで作られている。

竹田城。但馬攻めで秀長が攻略した城のひとつ。「天空の城」として知られる

現地はいま

  • 長浜城(滋賀県長浜市)… 秀吉が初めて城主となり、秀長が留守を預かった城
  • 安土城(滋賀県近江八幡市)… この時期に築かれはじめた信長の城
  • 竹田城(兵庫県朝来市)… 但馬攻めの舞台。雲海に浮かぶ石垣で知られる
  • 姫路城(兵庫県姫路市)… 次の播磨攻めで秀吉が拠点とする城
  • 八幡山城(滋賀県近江八幡市)… 安土城の遺構を伝える城

よくある疑問

Q. 「羽柴」の由来は確実な話ですか?
A. 丹羽・柴田から一字ずつという説が広く知られていますが、同時代史料で明言されたものではなく、後世の解釈という見方もあります。

Q. 松永久秀は本当に釜を割ったのですか?
A. 記述が史料により異なり、確定していません。爆死したという伝承もありますが、これも後世の脚色を含みます。

Q. 秀長はいつから「秀長」なのですか?
A. 兄の羽柴改姓にあわせて羽柴姓となり、名も小一郎から秀長へ改めていきます。豊臣姓を名乗るのは秀吉が関白となったあとです。

イラストで見る武将・姫たち

この記事に登場する人物は、姉妹サイト「日本の武将ガイド」でイラストとあわせてご覧いただけます。

  • 豊臣秀長 … 但馬攻めで初めて総大将を任された
  • 豊臣秀吉 … 木下から羽柴へ改姓し、長浜城主となる
  • 丹羽長秀 … 「羽柴」の「羽」を借りたとされる織田の宿老
  • 柴田勝家 … 「羽柴」の「柴」を借りたとされる筆頭家老
  • 織田信長 … 安土城を築きはじめた天下人

まとめ

この四回で、兄弟はそれぞれの持ち場を得た。

兄は名前を作り、城を持ち、外へ出ていく。弟は留守を守り、やがて自分の軍を率いる。豊臣家の強さは、この分業から生まれている。

そして次の四年は、播磨。兄弟にとって、いちばん苦しい時期が来る。

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