豊臣兄弟!第9〜12回 史実解説|竹中半兵衛はなぜ城を奪い、なぜ返したのか

この記事のポイント

  • 第9〜12回は美濃攻略から信長上洛まで。織田家が地方勢力から中央の主役へ変わる時期
  • 竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りは有名だが、動機も規模も諸説あって定まらない
  • 永禄十一年(1568)の上洛で、信長は足利義昭を奉じて京へ入る
  • この時期に秀吉は京都奉行の一人となり、行政官としての顔を持ちはじめる
▽ よく語られる話
竹中半兵衛はわずか十数人で難攻不落の稲葉山城を乗っ取った天才軍師である。
▼ 史実ではこうです
人数も動機も諸説あって定まっていません。そして何より、半兵衛はほどなく城を返しています。領地が欲しかったのではない。「城を取れるのに取らなかった」——この一点にこそ、この人の本質があります。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第9回「竹中半兵衛という男」から第12回「小谷城の再会」まで。美濃が落ち、信長が上洛し、織田家が天下の中央へ出ていく四回である。

ここから秀吉の役割が変わる。戦場の兵から、京を差配する行政官へ。史実の側から見ると、その転換がはっきり見える。

岐阜城。稲葉山城を落とした信長は、この地を岐阜と改め「天下布武」を掲げた

目次

この四回で実際に起きたこと

  • 永禄七年(1564)… 竹中半兵衛が稲葉山城を一時占拠したと伝わる
  • 永禄十年(1567)… 信長が稲葉山城を攻略。岐阜城と改称し「天下布武」の印を用いはじめる
  • 永禄十一年(1568)九月… 信長、足利義昭を奉じて上洛
  • 永禄十二年(1569)正月本圀寺の変。三好三人衆が義昭を襲撃
  • 同年… 二条御所の造営。信長が義昭のために築く

補助線①:竹中半兵衛の「稲葉山城乗っ取り」は謎だらけ

わずかな手勢で難攻不落の稲葉山城を奪った——竹中半兵衛の名を不朽にした逸話である。

ただし目的も規模も、はっきりしない。主君・斎藤龍興への諫言だったとも、内応者を得ての計略だったとも伝わる。しかも半兵衛はほどなく城を返している。領地を奪うためではなかったことだけは確かだ。

「城を取れるのに取らなかった」という点にこそ、この人の性格が出ている。のちに秀吉に仕え、黒田官兵衛の子・松寿丸を救う場面でも同じ判断をする。

補助線②:上洛は「京都に入った」以上の意味を持つ

永禄十一年、信長は足利義昭を奉じて京へ入る。これで織田家は、尾張美濃の地方大名から「幕府を支える存在」になった。

そしてこの時期、秀吉は京都奉行の一人に任じられている。戦場ではなく、都の治安と行政を任されたのである。

ここが秀吉の分岐点だと思う。合戦だけの人ではなく、町を運営し、金と人を動かせる人物として認められた。のちに大坂城の築城で全国から石と材木を集めてみせるのも、この延長線上にある。

▶ この続きを読む

大坂城築城と豊臣秀長:石と材木をどう集めたか 天下普請の原型と弟の実務

秀吉の本当の強みは戦ではなく「集める力」でした。その原型がこの時期にあります。

なぜ秀吉は、京都奉行に選ばれたのか

上洛後、秀吉は京都奉行の一人に任じられる。戦場の働きで出世した男に、都の行政を任せたことになる。

不思議に思えるが、信長の人選には理屈がある。

京都は、譜代の家臣に任せると厄介な土地だった。公家、寺社、商人。既存の権威が幾重にも絡んでいて、家柄のある者ほど過去のしがらみに縛られる。

その点、秀吉には何もなかった。系図もなく、縁故もなく、失うものもない。だからこそ、しがらみなしに実務を進められる。

「出自がない」ことが、初めて強みとして働いた場面だと言っていい。のちに関白となり、豊臣という姓を新しく立てるまで、この人はずっと「持っていないこと」を武器にし続ける。

補助線③:本圀寺の変が示したもの

永禄十二年正月、三好三人衆が本圀寺の義昭を襲う。信長は岐阜から急行し、これを撃退した。

この事件のあと、信長は義昭のために二条御所を築く。守りやすい御所を用意したのである。

ただし「守るために囲う」ことは、そのまま「囲い込む」ことでもある。信長と義昭の関係が崩れていく芽は、すでにここにある。

補助線④:小谷城の浅井家は、まだ味方だった

第12回のタイトルは「小谷城の再会」。この時点で浅井長政は信長の妹・お市の方を妻に迎えた同盟者である。

その同盟が翌年に崩れ、小谷城が落ちるまで、あと数年しかない。お市にとっての一度目の落城は、もう目の前に来ている。

小谷城跡。浅井長政とお市が暮らした城。同盟が崩れるのはこの直後である

現地はいま

  • 岐阜城(岐阜県岐阜市)… 稲葉山城改め。金華山の山頂に建つ
  • 小谷城(滋賀県長浜市)… 浅井三代の城。日本五大山城のひとつ
  • 虎御前山城(滋賀県長浜市)… 信長が小谷城攻めのために築いた向かい城
  • 安土城(滋賀県近江八幡市)… のちに信長が築く天下の城
  • 勝竜寺城(京都府長岡京市)… 山城国の要衝。のちに山崎の戦いの舞台に近い

よくある疑問

Q. 竹中半兵衛はなぜ秀吉に仕えたのですか?
A. 斎藤家滅亡後、秀吉が三顧の礼で迎えたと伝わります。ただしこの逸話も後世に整えられた面があり、経緯の細部は確定していません。

Q. 「天下布武」とはどういう意味ですか?
A. 武をもって天下を治める、という意味に読まれますが、「天下」が日本全国を指すのか畿内を指すのかは議論があります。

Q. この時期の秀長は何をしていたのですか?
A. 兄の配下として活動していたと考えられますが、独立した記録はほとんど残っていません。名が明確に現れるのはもう少しあとです。

イラストで見る武将・姫たち

この記事に登場する人物は、姉妹サイト「日本の武将ガイド」でイラストとあわせてご覧いただけます。

  • 竹中重治 … 竹中半兵衛。稲葉山城を一時奪った天才軍師
  • 織田信長 … 上洛を果たし「天下布武」を掲げた
  • 豊臣秀吉 … この時期に京都奉行となり行政官の顔を持つ
  • 浅井長政 … お市を妻に迎えた同盟者。まだ敵ではない
  • お市の方 … 小谷城で浅井長政と暮らした信長の妹

まとめ

この四回で、織田家は地方勢力ではなくなった。

そして秀吉は戦場から都へ、兵から行政官へと役割を変えていく。天下人になる素質は、槍ではなくこちらの側にあった。

いっぽうで、小谷城の同盟はまもなく崩れる。次の四年は、身内が敵になる時期である。

◀ 前の回:第1〜8回「尾張時代」 / ▶ 次の回:第13〜17回「浅井との三年」

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次