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近畿地方
高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高取藩 【説明】 寛永17年(1640年)10月19日、大番頭であった「植村家政」が、9,000石から2万5,000石に加増されて大名となり高取藩が立藩された。第2代藩主「植村家貞」は万治元年(1658年)7月7日、弟の政春に3,000石を分与したため、石高は2万... -
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田辺藩(紀州藩附家老)/安藤家3万8千石:安藤直裕 幕末に新政府から独立した藩として認められた紀伊田辺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田辺藩(紀州藩附家老) 【説明】 「浅野幸長」が紀伊を支配していた頃は、一族の「浅野知近」が田辺城を領していた。元和5年(1619年)7月、徳川家康の十男「徳川頼宣」が紀州藩主に封じられたとき、その付家老として遠江国掛川城主「安藤直次」... -
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紀州藩(和歌山藩)/徳川家55万5千石:徳川茂承 鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩【幕末維新写真館】
【藩名】 紀州藩(和歌山藩) 【説明】 紀伊国は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、甲斐国主であった「浅野幸長」に与えられ、外様の浅野家が治める紀州藩が成立した。元和5年(1619年)の「福島正則」の改易に伴い浅野家が安芸広島に移されると、... -
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新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新宮藩(紀州藩附家老) 【説明】 新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与したために没落する。その後、紀伊国に封じられた「浅野幸長」の家臣「浅野忠長... -
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狭山藩/北条家1万石:北条氏恭 天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 狭山藩 【説明】 第5代当主「北条氏直」は「徳川家康」の娘婿であり、北条氏規(北条氏康の五男)は「北条征伐」の和平に尽力し、豊臣秀吉とも会見していたという経緯から特別に許され、高野山での蟄居を命じられた。天正19年(1591年)、氏直は... -
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岸和田藩/岡部家5万3千石:岡部長職 幕末期は尊皇・佐幕両派に藩論が割れたが戊辰戦争では新政府軍に従った岸和田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岸和田藩 【説明】 岸和田藩は「松平康映」の妻の父である「岡部宣勝」が摂津国高槻藩より6万石で入封し、明治維新まで岡部氏の所領となった。歴代藩主は財政再建のため様々な藩政改革を行ったが、目立った効果もなく幕末に至った。天保8年(1837... -
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郡山藩/柳沢家15万1千石:柳沢保申 幕府の享保の改革によって甲府藩より移封された柳沢家【幕末維新写真館】
【藩名】 郡山藩 【説明】 享保9年(1724年)、将軍「徳川吉宗期」の時代に幕府直轄領の拡大を目論み実施された「享保の改革」にて、甲斐国甲府藩から「柳沢吉里」が15万1000石で入封する。以降明治維新まで柳沢氏が6代に渡り郡山の支配を行う。 2代藩主「... -
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柳生藩/柳生家1万石:柳生俊益 初代柳生宗矩から将軍の剣術指南役を務め幕末を迎えた柳生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柳生藩 【説明】 柳生藩の初代藩主ある「柳生宗矩」の死後、1万2500石の所領は長男の「柳生三厳(十兵衛)」に8300石、三男の「柳生宗冬」に4000石、四男の六丸(列堂義仙)に200石、と分知されたため柳生家は大名から旗本となった。柳生十兵衛(... -
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山城長岡藩/永井家3万6千石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山城長岡藩 【説明】 山城長岡藩は江戸時代初期、現在の京都府長岡京市を領有した藩で、この地に長岡陣屋が築かれた。寛永10年(1633年)、書院番で上総国・下総国内に8000石を領する旗本の「永井直清」が、旧領地に加え山城国、紀伊国、摂津国内... -
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高槻藩/永井家3万6千石:永井直諒 戊辰戦争で新政府が優勢になるとこれに従った高槻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高槻藩 【説明】 高槻城は「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えた「高山右近」が城主だった。、右近はキリシタン大名として有名で、秀吉の宣教師追放令で大名の地位を追われた。右近の後は「新庄直頼」が3万石で高槻に入封したが、慶長5年(1600年)... -
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伏見藩/内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伏見藩 【説明】 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は豊臣秀頼への牽制と畿内支配の拠点から、焼失した伏見城の再建に乗り出した。そして慶長8年(1603年)、家康は伏見城にて将軍宣下を受け江戸幕府を開いた。その後、慶長12年(1607年)に駿府城を正... -
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佐和山藩/井伊家18万石:井伊直継 家康による彦根城築城と移転により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐和山藩 【説明】 佐和山城は「織田信長」の時代から要衝と見なされ、特に信任の厚かった重臣「丹羽長秀」を城主とした。文禄4年(1595年)に「豊臣秀吉」のもとで五奉行の一人だった「石田三成」が近江水口から移封されて19万4000石で入封した... -
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膳所藩/本多家7万石:本多康穣 佐幕派から尊皇派へ転換し戊辰戦争では新政府に属した膳所藩【幕末維新写真館】
【藩名】 膳所藩 【説明】 最後の藩主である「本多康穣」の時代に藩内では尊皇派と佐幕派が主導権をめぐって争った。このため、将軍「徳川家茂」の膳所宿泊が中止になるほどであったが、やがて佐幕派が力を盛り返し、尊王派11名を処刑にした。また尊王派の... -
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朽木藩/朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家【幕末維新写真館】
【藩名】 朽木藩 【説明】 朽木氏は「朽木谷城」を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めていた。戦国時代の当主「朽木元綱」も「足利義輝」「足利義昭」に仕え、外祖父には公卿の飛鳥井雅綱を持つなどの名門だった。織田信長が越前朝倉攻めを行っている際、... -
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大溝藩/分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大溝藩 【説明】 大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていた。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信」が2万石で入封し大溝藩が立藩された。 ... -
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彦根藩/井伊家23万石:井伊直憲 桜田門外の変以降徳川幕府から離れ新政府に従った彦根藩【幕末維新写真館】
【藩名】 彦根藩 【説明】 徳川譜代大名の筆頭でもある彦根藩の幕末藩主となったのが「井伊直弼」である。嘉永3年(1850年)、兄「井伊直亮」の死去により藩主となった。13代将軍「徳川家定」の将軍継嗣問題で南紀派(紀州藩)に属し、「一橋慶喜」ら一橋... -
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長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1... -
東海地方
鳥羽藩/稲垣家3万石:稲垣長行 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍として戦うもほどなく新政府に恭順した鳥羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳥羽藩 【説明】 鳥羽藩は織田水軍の将「九鬼嘉隆」を藩祖とする藩である。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」で嘉隆は西軍に、子の「九鬼守隆」は東軍に与して戦った。父子対立というよりはどちらが勝利しても九鬼家が存続できるよう... -
東海地方
伊賀上野藩/筒井家20万石:筒井定次 外様大名の筒井氏が政務怠慢により改易された伊賀上野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊賀上野藩 【説明】 大和の国「筒井順慶」は「織田信長」の家臣となって「松永久秀」を滅ぼし、大和一国の国主となった。天正12年(1584年)、順慶は35歳の若さで死去し、その後を養嗣子で従弟の「筒井定次」が継いだ。そして翌年、「豊臣秀吉」... -
東海地方
松坂藩/古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松坂藩 【説明】 戦国時代、この地には織田信長の次男「織田信雄」が入封しこの地を松ヶ島と改め、松ヶ島城を築城し五層に及ぶ天守と城下町を建設した。信長没後、信長の娘婿「蒲生氏郷」が12万石で入り、松坂城を新たに築城し城下町の建設を行な...


